イスラム国(ISIS)

みんなもそうだと思いますが、最近、この問題のことばかり考えています。世界の脅威となっている、とんでもないテロ組織「イスラム国」についてです。

事件の経緯はみんなが知っていることなので割愛しますが、人生を賭けて最期まで世界中へメッセージを配信し続けた日本ジャーナリストの後藤さんと、民間軍事会社のCEOだったという湯川さんが、伝えたかったメッセージは何だったのでしょうか?


まず自分が言いたいこと。「最期まで」と書きましたが、自分は未だに信憑性を疑っているような状態です。
自分のおかれた環境とはかけ離れすぎた、いわゆる「平和ボケ≒Wishful thinking」の感覚でもの申していると思いますが、自分は、彼らの身柄が、信頼できるメディアによって確認されるまで、どんな形であれ生存を信じていたいと思います。映画を見せられ「これを信じろ!」と言われているように思えてなりません。

YouTubeに投稿された動画だけで、「湯川さんが殺されました」「後藤さんが殺されました。信憑性は高い」そう判断することにも疑問を持っています。政府はなんらかの情報を隠し持っていることは間違いなさそうですが、動画がいつ撮影されたものか判断できず、最新の画像技術を駆使している可能性もある中、どうも腑に落ちません。


湯川さんは、民間軍事会社のCEOとして、度々シリアとイラクを訪問し、現地レポートを配信していたようです。現地で訓練のためと言って武装し、銃の射撃まで行っていたようなので、敵だと思われて当然だと思いました。湯川さんがどれだけの心意気で戦場を訪れていたのか分かりませんが、現地で国や宗教のために命がけで戦う兵士とは温度差があったように感じます。武器に興味があり、実際に戦争の地で戦っている戦闘員に憧れを感じたのでしょうか…。
後藤さんとともに行動していたこともあるようです。経験を日本へ持ち帰り、日本人としてできることを考えて世界に貢献したいと考えていたと思いますが、正直、理解できない行動もあります。最終的な目的は何だったのか…単に取材?戦闘員を送りこむこと?ビジネス?
民間軍事会社というものが存在していること自体、知りませんでした。

http://ameblo.jp/private-military/



ISISはネットを利用して他国からの人材も集めていて、海外から約80か国15,000人が参加したと聞いています。中には北欧から、10代の女の子が戦闘員と結婚するために参加したり、勧誘も映画のようにうまく、刺激を求める人にとっては魅力あるものなのでしょう。
はぁー…考えられません。


そして後藤さん。中東だけでなく、アフリカを訪れていたり、最前線で何が起きているのか、生々しい状況を伝えることが使命で、ジャーナリストとして活動を全うされている姿には感心しました。友人である湯川さんを助けるためにトルコからシリアに潜入したようですが、このような状況に陥ってしまったことを残念に思います。
経験のある方でしょうから、危険は充分に分かっていたはずですし、最悪の状況も絶対に想定していたはずです。それでも決断に至ったのは、やはり使命感だったと思います。もし自分の親友が捕えられてしまったら、同じ行動ができるかと聞かれたら考え込んでしまいますが、使命感に駆られて行ってしまう気持ちも充分に理解できます。残された家族を気の毒に思いますが、自分も生存の可能性を信じたいです。


2人の日本人はすでに殺害されたとされていますが、ISISの言い分は納得できません。


「ISISと対立する国々を支援している日本も敵だ!」


確かにISISから見た日本は、そのように映ってしまっているのだと思います。ですが、日本は直接攻撃を与えているわけではなく、ISISによって国を追い出された人々を支援しているだけです。イギリス、フランスやアメリカのように、やられたからやり返しているという殺害理由とは全く異なります。
世界中に発信されている有志連合国に「日本」が2014年9月から含まれているので、非軍事的支援であってもISISから見たら、同じに見えたのでしょう。残念です。

http://news.bbc.co.uk/2/hi/americas/2862343.stm


ISISが要求してきた、人道支援と同じ額の200億円を払ったとしても、身柄が戻った保証はありませんし、その200億円の資金によって、より多くの人の命が奪われることは間違いありません。海外で生活する身として懸念することは、日本人が次々と誘拐され、身代金を要求される、ということです。簡単に想定できます。

日本政府がヨルダンに対して行っている人道支援自体について、批判する人はあまりいないと思いますが、安倍首相を非難する人はたくさんいます。国会でもたくさん意見が飛び交っています。
確かに、中東を訪問するタイミングは良くなかったし、公表した発言内容もISISを刺激するような内容が含まれていました。今、中東を訪問する必要すらなかったようにも思いますが、責任取って辞任しろだの、安倍首相が人質を殺しただのいう人がいますが、200億円を支払わずに交渉できないか、水面下で動いていたことは間違いありません。
途中から、ヨルダンに拘束されている自爆テロ犯とISISに拘束されているパイロットの引換えなどの条件が入り、ヨルダン政府にも迷惑をかけてしまいました。

安倍首相を攻撃しても意味ありません。更なる混乱を呼ぶことはISISの思惑通りです。
もし首相が「くそーISISめ!」と感情的になって軍事支援を始めるとなると、たぶん自分も含めて徴兵され、第3次世界大戦の幕開けとなります。そんな事態は、後世のためにも絶対に避けなければなりません。では、何人の日本人が殺されたら戦争に踏み切るか?そんなことも頭をよぎりますが、戦争だけは絶対に避けなければなりません。



今回公になった、日本が行っている難民支援についてですが、ヨルダンの医療の質を向上させるためにも日本政府は働きかけていて、医療機器の供与なども行っています。自分は今大学院生なので、インターン先を探していて、実はヨルダンも候補にありました。



皮肉なことに、戦争が増え、負傷者が増えると、病院の需要が一気に高まる。となると、医療従事者が必要になるわけで、それが仕事となる。
科学者は命を救うために研究を重ね、医療が進歩していく…。日本の医療が急激に発展したのも、戦争を重ねるごとにたくさんの犠牲者、負傷者を出したからです。

世界平和を世界中の人々が望んでいながら、現実にはあり得ないものの、事件・事故・戦争・貧困・病気などがゼロになれば、病院なんて必要ありませんし、科学技術の進歩も必要ありません。
本当は医療機器のエンジニアなど、国際協力など必要ないのが理想なんです。

そこには大きな矛盾があり、たまに自分を悩ませますが、湯川さん、後藤さんもきっと似たような心境になったことがあるに違いありません。



ISISの占領するエリアには、たくさんの子どもたちがいますし、アメリカを心底嫌っています。そのように教育を受けています。育った環境がそのような状態だったら、自分も、自分にとっての正義はアメリカを倒すことだったはずです。
2003年、アメリカの侵略によってイラクが攻撃され、もし両親や友だちが殺されてしまったとします。そして悲しみを抱えたまま時が経って2015年。その復讐が始まったのです。
今ISISによって教育を受けている子どもたちの将来がとても不安です。




このテレビ中継は、アメリカ人とISISを支持する人のやり取りです。


アメリカは攻撃しただろ?」
「お前はISISをサポートするのか?」


みたいな解決できないやりとりが延々とされています。



自分は罪のない人々を殺害し、めちゃくちゃな行動を続けるISISを嫌っています。ですが、ISISの言い分が分かることもあります。アメリカによって絶たれた命も多く存在するからです。憎しみを憎しみで返すと、また憎しみを生むだけです。
もし親友をアメリカ人に殺され、自分が復讐のためにそのアメリカ人を殺すと、そのアメリカ人を慕っていた人から自分は殺されるでしょう。負の連鎖です。

アメリカを支援する立場として巻き込まれてしまった日本。戦争に手を貸すことは無いと思いますが、集団的自衛権が行使されている今、事態が最悪な方向へ向かわないことを願います。


信仰心が薄く、平和ボケしてしまった自分からは理解できないことも多々ありますが、信仰心というのは時に恐ろしいものです。殺人も殉職をも誇りに感じてしまうのですから。
この殉職という言葉を耳にすると、自分はいつも、かつて戦争に参加した特攻隊を想像します。日本兵は宗教のためではなく、日本国のために命を絶ったのですが、自爆テロを行っているISISの戦闘員と似た精神状態を感じます。ISISは、本気でイスラム国を発展させたいと命を落としている人もいるのです。特攻隊は非戦闘員を攻撃するテロとは異なりますが、どちらにしてもその心情は理解できません。




ISISはイスラム教の悟りを世界に広めることを目的としています。自分のクラスメイトであるパキスタン出身の友だちはイスラム教徒ですが、やはりISISのやっていることは過剰で、イスラム教の本来の教えとはかけ離れすぎていて、本当に腹立たしいと言っていました。
イラン出身のクラスメイトもいるのですが、ISISを本当に嫌っていて、故郷に帰省することも諦めなければならないこともあるようです。
一概にイスラム教徒が悪いとは言えないので、気をつけなければなりません。


これからISISに対する日本の関わり方は気になるところですが、世界平和を心から願っています。


Ichimasa



NHKスペシャル「追跡イスラム国」


あけましておめでとうございます!

2015年が始まりました。年々1年間が短くなっているように感じますが、今年も濃厚な1年だったと思います。昨年はウガンダで年を越して、日本へ帰国、そしてドイツへ。

この1年、以前からは想像できないくらいたくさんの事を学びました。そして、自分の無力さも痛感。一方で、試験やプレゼンテーションをこなすにつれ、自信をつけることもできました。この大学生活はまだ折り返し地点。残り1年、更に気合入れていきます!


ということで、例年のように今年の目標!


1. まずはやっぱり勉強!
2. ドイツ生活を楽しむ!
3. 新しいことを始める!
4. 行動する!会いたい人に会う。
5. 将来へ準備しておく。



年越しの瞬間、この5つが頭に浮かびました。


クリスマスから年越しまでの事を書きます。

クリスマスは、ドイツ人の友だちの家で過ごすため、ゾーリンゲンという小さな町へ遊びに行きました。
友だちの名前はモリッツ。彼は、ルワンダ共和国で1年くらいボランティアをしていたので、アフリカの話ができる貴重な友だちです。
身長が高いのですが、ピアノやギターが好きな音楽家で、エンジニアでもあります。



近所の大学生のパーティに交じって、人生ゲーム的なものを楽しんだり、プレゼント交換したりと、満喫しました。
ケルン大聖堂の本立て、懐かしのUNO、そしてゾーリンゲンは刃物職人の町として有名なので、ゾーリンゲン製のハサミ、モリッツの両親からメッセージもいただきました。



モリッツの家では家族が豪華な料理を準備してくれ、更にはビール、ワインも。そしてドイツ独特である、グリューワインと呼ばれる、ホット赤ワインもおいしかったです。
グリューワインは香辛料を入れることもあって、身体温まる飲み物です。



招待してくれたお礼にと、日本の“こくまろカレー”とドイツで買える日本米、“ゆめにしき”を振る舞いました。あまりスパイシーな食べ物が無いドイツですが、喜んでくれました。

また、近所にある教会で開かれたミサに参加し、歌って癒されて、のんびり過ごしました。モリッツのお父さんは教会で神父として司会進行していて、両親ともに歌手なので、先導して歌っていました。

家族みんな人柄も大変よく、モリッツの性格にもよく表れていると思いました。

図々しくも数日モリッツ家で過ごさせてもらい、30日。


大学のイベントの一環で、約400人でフランス・パリへ。今年だけで3回目でした。笑

晦日の夜中2時に出発し、起きたらパリ到着。半日パリを観光して、半日はディズニーランドを満喫しました。意外にも、ヨーロッパでディズニーランドを満喫できるのはパリだけです。パリのディズニーランドにある建物やお城は、全体的にピンク色で統一されています。
後ろに映るのは、“Sleeping beauty castle”=眠れる森の美女の城。



東京にもディズニーランドがありますが、ディズニーランドに行ったのは、確か親戚が千葉に住んでいて、幼い頃に行った記憶がうっすらあります。20年以上も前のことだと思います。

約5mのクリスマスツリー。



パリのディズニーランドでは、子どもに戻ったようにテンションが上がり、カウントダウンが始まる直前まで遊び回りました。



年越しの瞬間、シンデレラ城に映し出されたアニメーション、打ち上げられた花火、とても感動しました。



人が多すぎて動けませんでした。



あと半年で、とうとう30歳を迎えます。実感はありませんが、更に5年後、10年後を想像しながら、少しでも理想像に近づけるように1日1日を大切にしたいと思います。


2015年も楽しみましょう!


Ichimasa

先生見本市

「先生見本市」というイベントをご存知でしょうか。

世の中、学校の先生にまつわる事件・犯罪が多いですよね。メディアを見ていると、どうしても悪いニュースばかりが錯綜してしまうので、学校の先生の肩身が段々と狭くなっている気がします。
しかし、全国には生徒と真剣に向き合い、素敵な先生がたくさんいるということを伝えようとする企画です。あこがれ先生プロジェクトとも呼ばれます。

自分がこれまで出会ってきた先生は、尊敬できる先生が多かったので、全国で先生たちの問題行為が指摘されている中、絶対に素晴らしい活動をしている人もいるはずだ!と思い、インターネットのページに目が留まりました。


「先生見本市・・・?」


この先生見本市で、中学時代に大変お世話になった、藤田司先生が講演されていました。
自分と藤田先生は、バスケットボール部のキャプテンと、その顧問の先生という関係でした。15年くらい前の話です。

先生見本市はDVDが出版されてたので、先日取り寄せてみました。


Youtube でも一部見ることができます。




考えてみれば、あの時の先生は今の自分より若くエネルギッシュで、人としても尊敬できる先生でした。
先生は体育を受け持ち、いわゆる熱血先生で、生徒からの人望も厚い先生でした。優しい面を持ちながら時には厳しく、たくさんの生徒にとって忘れられない先生です。

先生はサッカーをずっとされていましたが、急にバスケ部を担当されることになり、中学からバスケットを始めた自分たちと共に、バスケットを勉強しながら3年間励んだ思い出があります。

実はここ10年くらい連絡を取っていませんでしたので、恥ずかしながら状況を全く知らなかったのですが、数年前、先生がガンを患い、闘病生活をしていたことを知りました。
ガンを患ったのは先生が29歳の時、偶然にも今の自分と同じ歳です。

抗がん剤治療の苦しい時でも目標を掲げ、闘病生活中にリフティング6,000回を達成したそうです。
目標や夢を持つことの大切さを教えてくれます。


この先生見本市には、藤田先生だけではなく、他にも素敵な先生方が講演されていますので、もし興味があれば、ぜひご覧になってみてください。

自分は教師ではありませんので教壇に立ったことはありませんが、魅力ある素敵な仕事だと思います。
藤田先生にはこれからも頑張っていただきたいですし、自分も恥じないように、いつか胸張って再会したいと思います。


Ichimasa

人生最悪の旅から

パリから戻り1週間が経ち、パスポートやクレジットカードの再発行を進めようとしていた時、在フランス日本大使館から電話が入りました。


「あなたのパスポートを預かっています。」

「…?」


まさかと思いました。
絶対に戻ってこないと覚悟しているのに、日本大使館が自分のパスポートを持っている…??

聞くと、パリ市内に落ちていた自分のパスポートなどを拾った人が郵便局まで届け、心優しい郵便局員がパリの日本大使館まで届けてくれたようです。


「極めてまれなケースです。」


大使館の方も驚いた様子でした。
早速、ドイツまで郵送してもらえないかお願いしてみましたが、パスポートは人と同じ扱いで、絶対郵送してはいけないそうです。
万引きをしてしまった子どもを引き取りにくる親のように、直接引き取りに行かなければなりません。


「苦い思い出のあるパリにまた…」


しかもたった1週間しか経ってません。
でも迷っている暇はないと思い、行くことを決めました。

夜行バスで約6時間。パスポートが無いので、チケットを買うときにちょっともめましたが、フランス語で書かれた被害届を見せ、何とか出発することができました。


翌朝5時。大使館が開館するのは9時半。
パリの日本大使館は、あの有名な凱旋門から近くにあるので、凱旋門から伸びたシャンゼリゼ通りを歩き回り、まだ観光客も少ない朝の散歩を楽しみました。

カフェで朝食をとり、9時半。ついにパスポートと再会するときが来ました。
日本大使館へ入り名乗ると、待ってましたとばかりに、数分で再会できました。
届けられたものを受け取ると、そこには、パスポート、ドイツのビザ、クレジットカード、キャッシュカード、保険証など、財布に入っていたカード類がほとんどありました。

本当に驚きました。

自分が目を離したあの瞬間から、何人もの手に渡り、どうやってここまでたどり着いたのか、不思議でなりませんでした。
できることなら、このパスポートたちが、自分とはぐれたあの後に、どんな体験をしたのか聞いてみたいです。

よく無事に帰ってきてくれたものです。

昔から思いますが、何か嫌なことが起きても、いつも見えない何か?誰か?に支えられている気がします。


何だか清々しい気持ちで、ドイツへ戻るためのバスを予約すると、空いていたのはその日の夜10時発。半日観光する時間が持てました。

今度こそ写真を持ち帰りました!大切にしていたカメラは戻ってこないので、これから暫くはiPhoneで写真を撮っていきます。観光の思い出も挟みつつ、パリを紹介します。



エトワール凱旋門。ナポレオンが軍事的勝利を讃えて作らせたようですが、本人は殺害されてしまったあと、死体となって凱旋門を通過することになったそうです。中は階段が走っていて、てっぺんまで登れます。



エッフェル塔近くにある日本文化会館で行われていた、イベント。鎧や兜、そして福島県相馬市で行われている、伝統的な祭りの映像を流していました。



映画「アメリ」は、パリの映画でした。


この写真にも載ってるオードリー・ヘップバーンも有名ですが、ベルギーのブリュッセル出身です。ブリュッセルに行ったとき、オードリー・ヘップバーンの生まれ育った家にも行ってきました。
家の壁に、金色のプレートが貼られています。博物館でも何でもありませんが、オードリー・ヘップバーンが歩いた道、見た街並みに自分が溶け込んでいると思うと、ワクワクするものでした。



エッフェル塔。東京タワーに似ていますね。階段かリフトで登れます。



エッフェル塔から見たパリの街並み。



透けて地上が見える、ガラス張りの床。



セーヌ川を走るディナークルージング用の船。いつか誰かと来ることができればいいので、今は外観だけ。



ルーブル美術館。世界最大の超巨大美術館です。
前回はここで数時間以上も過ごしました。たくさんの有名画の中でも、あのモナリザ。あれは別格で、防弾ガラスで守られていました。



エッフェル塔近くのフリーマーケットで、タニー・ローセンというおじさんが手作りの革製バッグや靴を売っています。相場は100〜150€くらいと高いですが、30分くらい話し込むと半額で購入できました。ラクダの革製です。

おじさんの口癖は、「俺はプラスチックが嫌い」



ドイツでお世話になっている大家さんへのお土産。
ルーブル美術館近くにある、おいしいクッキー。

LA CURE GOURMANDE


悔しい思いもしましたが、今では感謝する毎日です。
また頑張っていきます!


Ichimasa

人生最悪の旅

映画みたいな話をしますが、実際に起こったことを書きます。いい内容ではありませんが、恥も承知です。書いてストレス発散させてください!


ドイツに来てもうすぐ半年。
7月後半に期末テストを何とか終え、夏休みに入ってからはドイツ語の講座に出ていました。
青年海外協力隊の友だちが遊びに来てくれたり、以前一緒に働いていたウガンダ人がドイツまで遊びに来てくれたり、楽しいこともありました。


そして8月終わりにドイツ語が一段落したので、旅に出ることを決めました!どこでもよかったのですが、せっかくならドイツから出て他のヨーロッパ諸国も見てみたいと思い、
ドイツ→ベルギー→フランス→オランダ、そしてドイツへ帰ってくることを予定しました。


日本から行けば時間もお金もかかるヨーロッパも、ドイツからバスや電車で移動すれば、ほんの数時間。バスなら20~40€(3000~6000円)もあれば、国を跨げます。


まずベルギー。首都ブリュッセルは美しい街で、王室を見学できたり、世界3大がっかりともいわれる小便小僧を見ることができました。確かに小さくて迫力ありませんが、朝から晩まで、ずーっと人だかりが小便小僧を撮り続けていました。
ワッフルやチョコレートがおいしく、夕食はミール貝とフレンチポテトにビールという組み合わせが最高でした。

芸術が盛んな町で、みんなが一度は見たことのあるスマーフやタンタンを始め、多くののマンガが生まれた地です。
街を歩くと、壁画にたくさんのキャラクターを発見することができます!


スマーフ



タンタン



クイック・エ・フリュプク



そしてフランス。ブリュッセルからバスで約4時間、パリへやってきました。
ブリュッセルの建築物、町並みには感動しましたが、その何倍も都会で、町中に世界遺産級の建物が並びます。
パリ市内には観光バスが走っていたので、エッフェル塔シャンゼリゼ通り、凱旋門ルーブル美術館など、充分に満喫しました。

エッフェル塔前では、たまたま東北OECDスクールの高校生が、日本の文化、東日本大震災について語ったり、着物を着ていたり、素晴らしいイベントを行っていました。2年以上も前から計画していたようです。






ここまではパーフェクトな素晴らしい旅ですが、パリ3日目の夜。その日も1日中歩いたので、帰宅途中のスーパーでワッフルとジュースを買って、気分転換のために駅前にあったベンチに腰掛け、1日中背負っていたリュックを自分の右横に置き、リラックスしていました。

すると南米系の男が話しかけてきました。彼は英語をほとんど話せなく、身振り手振りで一生懸命何かを伝えようとしていました。
パリはあまり英語を話せる人がいないのですが、よく話しかけられます。
「またか。」と思いながらも何を言っているのか真剣に話を聞いていました。男は立ち上がってサッカーをしているような動きをしていました。男は自分の左側に回り、まだ何か一生懸命に話していました。

数十秒後かと思いますが、男は急に話すのを止め、「楽しかった!バイバイ。」と言って後にしました。
「変な奴だったなー」と思って視線を戻したら、リュックが消えていました。



「………。」

一瞬、頭が真っ白に。



ちょっと休んだらホテルに戻ってすぐにシャワーを浴びようと、身に着けていたものをほとんどリュックに入れていたのに、リュックは跡形もなく姿を消しました。
手元に残ったのは、食いかけのワッフルと空になったペットボトル。そしてポケットにかろうじて入っていた携帯電話のみ…。

このベンチは大きな半円状になっていて、背もたれは自分の身長くらいありました。
自分の右側には誰もいなかったので、間違いなくあの男が自分を惹きつけている間に、背もたれの後ろから自分のすぐ右側にあったリュックを盗ったんだと思います。気付かなかったことが情けなくて仕方がない…。


「さっきの男…!!」


そう思って近くを探すと、まだあの男が1人で歩いていました。
今行くべきか、奴らの仲間が合流したところで行こうか迷いましたが、気付いたらもう男の腕をつかんでいました。当然のように知らんぷりされ、怒鳴っても「英語わかんない。」と言われイライラするし、最悪でした…。

相手を説得しようと両肩をつかみ、話しかけ続けました。でもずっとシラを切られるので、自分でも何をやったのかよく覚えていませんが、

「警察呼ぶぞ。」と逆に言われました。
「ふざけんな!」と思いますよね。


ふと怒りが少し落ち着いたとき、客観的に自分を見ている自分に気付きました。
気がつけば人気のない裏路地。たぶん周りから見れば、中国人みたいな男が現地のフランス人に掴みかかって何か叫んでる。みたいな状況でしょう。

らちが明かないので相手から手を放そうとしたとき、男の身に着けていた何かに手が当たりました。革のケースに入った固形物で、ナイフか何かだったかもしれません。暴行したら自分が捕まるし、こんなやつに刺されたくないし、ましてや自分を証明するものは何もないし、冷静に警察に行こうと思うことができました。
そのまま男を警察に連れていくこともできず、むかつくけど、今は命があることに感謝しなければなりません。


警察署に行くと、
「また日本人か。」と言わんばかりに、日本語の被害届を出してきました。かなりの日本人が被害に遭っているようです。
記入しているときに、逮捕されて手錠をかけられた男が入ってきて、何やら騒いでいましたが、当然あの男ではなく、全く頭に入ってきませんでした。


まさにボー然。


無くしたものが多すぎて、怒り、不安、情けなさ、いろんなことが頭をよぎりました。

警察には3時間くらいいて、犯行の様子を説明し、リュックの中身を説明したり、犯人の顔を書いたり。しかし何だか真剣みの無い警察官ばかりだったので、期待してません。
「このケースは99%戻ってきませんねー。ハハハー。」みたいな対応だったので、完全に諦めました。


ホテルに戻ったのは夜中2時くらい。同じ部屋で仲良くなっていたメキシコ人とイタリア人4人がバーに連れて行ってくれ、慰めてくれました。
話を聞きつけたイラン人にも慰められ、そして同じような手口で携帯電話を盗られたアルゼンチン人とも仲良くなり、変な団結力がうまれました。笑


状況を知ったホテルのスタッフは、インターネットを無料で使わせてくれ、クレジットカードやキャッシュカードを止めることができましたし、仲良くなったメキシコ人に100€くらいを借りて、とりあえずドイツまで戻ってくることができました。

持ち物は携帯電話と借りたお金、そして警察署で発行してもらった被害届のコピーのみ。近所のスーパーへ行くときでさえ、もう少し重装備です。オランダへは行けませんでしたが、そんなこと言ってる場合じゃありません。

帰りのバス内ではクレジットカード会社の人とやりとりしているときに電話の残高が無くなり、バス内マイクで携帯を貸してくれる人を募って借りたり…ヒヤヒヤしましたが、何とかなるもんですね。ずっと脳が冴えていて、2日間くらい寝れませんでした。


これからパスポートや学生証を再発行したり、証明書を取り寄せたり、日本にいる家族にも迷惑をかけることになりそうですが、またもとの生活を取り戻せるようにしていきます。
大切なものが無くなって、一度リセットされたような気分です。


旅はいつも自分を成長させてくれますが、今回のは相当キツイ。未だにイライラすることはありますが、旅を通してたくさんのいい出会いがあったことには感謝したいと思います。

自分のリュックを盗んだ人も、生活に相当困ってて仕方なくやったんだろうし、自分の使う予定だったお金、愛用していたiPodやカメラで、誰かが幸せになっているんだろうと思いたいです。

アフリカで過ごしたという自信が、実は過信だったことに気付かされました。


今回助けてくれた、心の広い友だち。自分も彼らのように、困った人がいたら率先して助けられるような人にならなければと、感心させられました。

ということで、こんな話で申し訳ありませんが、書いたり話すとすっきりしますね。旅で撮った自慢の写真をお見せすることができませんが、勘弁してください。この経験も、いつかは笑い話として語りたいです。

パリへ行く予定のある方、気をつけてください!


Ichimasa

西アフリカ・エボラ出血熱

インターネットで世界中が身近に感じられる現在、たくさんの情報が入ってくるので、物騒な事件や事故が多いと感じます。映画ではないかと思うほど悲惨な状況があったり、考え方や文化の違いから、日本人として理解しがたいこともあります。

「知らぬが仏」ということも時にはあるかもしれませんが、世界でニュースになっている話題についても紹介していけたらと思います。



猛威を振るうエボラ出血熱について。

西アフリカのギニアから感染が拡がっているエボラ出血熱。2014年8月3日現在、少なくとも1323人の感染者がいて、これまでに729人が亡くなっています。(画像は7月24日現在)



これまでにもエボラ出血熱の感染は度々確認されていますが、最大でも1995年にコンゴ共和国から感染が拡がったもので、当時は245人が亡くなりました。
この状況から分かるように、今起きている感染拡大は過去最悪です。感染者は、50~90%の確率で亡くなります。一般的に全身のありとあらゆる穴から出血を繰り返すと言われていますが、初期症状はアフリカで蔓延するマラリアと似通っており、発熱、頭痛、下痢や吐き気がするといった程度で、誤診に注意しなければならないようです。



感染ルートはゴリラやサルが発症の起源とされており、アフリカなど一部の地域で、感染した野生動物を食したり、死体に触れることで感染するそうです。もちろん、人から人に感染します。
エボラは通常の生活の中で感染することは無いそうですが、感染患者の血液や唾液、排泄物、分泌液などから飛沫感染するそうです。犠牲となった患者の葬儀に参列した全員が感染したという報告もあるくらい、感染力の非常に高いウィルスです。
西アフリカでは葬儀で死体に触れる文化があるそうなので、その風習が感染拡大を広めているのかもしれません。エイズウィルスと同じように、人が亡くなっても、ウィルスはしばらく死体内で生き続けるようです。

感染力の面で言えば、マラリアやインフルエンザの方が脅威と言われています。
エボラ出血熱の恐ろしいところは、治療方法が確立されておらず、抗エボラウィルス薬もなければ、ワクチンもないということです。



世界中から、NGO団体や国境なき医師団が感染拡大を防ぐために努力していますが、治療にあたっている医療従事者にも感染し、更に猛威を振るっています。

実は2012年8月には、自分が滞在していた時にウガンダ共和国でも感染が認められ、各病院の緊急外来棟は、非常に緊迫した状況が続いたことがありました。出血している患者には絶対に近づかないように、忠告を受けていました。あのような状況を経験したからこそ、とても他人ごととは思えないニュースです。
万が一の際には、自分たちで感染を防がなければなりませんので、自分が勤務していた外来病棟には、全身防護服、ゴーグルや手袋などがWHO(世界保健機関)から支給されていたのを覚えています。



現在は飛行機で世界中を簡単に行き来できますので、感染が拡がりやすい状況にあります。
西アフリカでエボラ出血熱の治療にあたっていたアメリカ人医師が感染してしまい、治療のためにアメリカへ帰国しました。厳重な監視のもと治療を始めるそうですが、感染者が出てしまう確率もゼロではないと思いますので、不安もあります。



ドイツは、エボラ患者の治療を受け入れましたし、香港では、アフリカから帰国した女性に感染の疑い?という記事もあります。日本も他人ごとではありません。
世界中の医療従事者や科学者はこの脅威に立ち向かうべく、懸命な努力をしています。人間は、戦争なんてやってる場合ではありません。もっと優先的にしなければならないことが世界中にあります。

一刻も早く、エボラ出血熱の感染拡大が終焉を迎えてほしいです。
 


Ichimasa



参考
http://rt.com/news/177616-russian-experts-ebola-outbreak/
http://www.bbc.com/news/health-28625309
http://rt.com/news/176628-eu-ebola-high-alert/

ワールドカップ優勝!

久しぶりの更新です!書きたいことはたくさんありますが、ようやく1学期が終わり、今は夏休みです。この自由に何でもできる期間があるということは、学生の特権ですね。

ドイツでは、「夏休みで3週間休みます」というクリニックがあったり、企業も当然のように社員に有給を取らせるようですし、仕事とプライベートを大切にするドイツ人の働き方は日本人も見習うべきです。


そしてブラジルで開催された、サッカーワールドカップ。ドイツが優勝しました!やりました!!
実は6月下旬から、テスト期間が始まり、今回のワールドカップはほとんど観戦することができませんでした。日本戦はさすがに観戦しましたが、残念でしたね。現在は多くの日本人選手がドイツで活躍しているので、世界一の国でがんばってもらいたいです。

ワールドカップを観戦しているときは、学校にはいろんな国から生徒が来ているので、面白かったです。コロンビアの生徒もいて、日本戦を同じモニターで観戦していたときは、不思議な気持ちでした。向こうは大喜び、こっちは幻滅…。

決勝当日は、自分の住んでいる小さな町にあるバーに行きました。若者は大きな町まで行き、パブリックビューイングと呼ばれる巨大モニターで観戦します。なので、自分が行ったバーには、町に取り残された中年おじさんおばさん、中にはおじいちゃんおばあちゃんまでビールを飲みながら観戦していました。ドイツの旗を振り回していたり、ドイツ国旗の帽子を被っていたり、お茶目です。笑
優勝したからか、当日は飲んだビールがすべて無料!ドイツ人にとって、ドイツで生活する人にとって、最高の瞬間でした!!



学校には食堂があるのですが、そこのスタッフも、ドイツの試合の日には食堂を装飾して、スタッフ全員のほっぺたには、ドイツ国旗のペイントが…サッカーは国技なので、日本とは熱意が違います。

車にドイツ国旗を掲げたり、ガソリンタンクやサイドミラーをドイツカラーにしていたり、国をあげて応援していました。

こんな車がたくさん町を走っていました。




「サッカーはドイツ人が常に勝ち続けるスポーツである」という新聞記事を読みました。ドイツは確かに常勝軍団です。今回で20回目の開催でしたが、ベスト4以上に入った回数は、なんと13回!安定した強さです。
1954年、1974年、1990年にも優勝しており、今回で4度目!その貴重な瞬間にドイツにいたことは、本当にラッキーです。

夏休み中はドイツ語のレッスンを組んでいますし、各所でイベントも行われるそうですので、充実した休日を過ごしたいと思います。


Ichimasa