再びウガンダで思うこと

前回のブログ更新から約5か月。
フランスではテロが起きたり、中東からのヨーロッパへの移民問題も一向に終結する気配がありませんが、元気に過ごしています。自分自身にも、いろんな事がありました。


まずは7月下旬。期末テストがすべて終わり、残すは修士論文のみとなりました。これから、自分の興味のある分野についての研究を、更に掘り下げて行っていきます。一言で医療機器と言っても、研究や仕事の幅は限りなく、自分がどの分野に踏み込んでいくのか、将来何がしたいのか明確にし、細分化していく必要があります。

まずは論文のテーマを探すため、興味のあったいくつかのインターンシップや研究機関に応募。ドイツに居ながらも、やっぱり最終的には国際協力を意識しているので、応募先をアフリカへと絞っていきました。

WHOのコンゴ共和国オフィスでのインターンシップ、そして海外コンサルの一員として西アフリカのベナンでのインターンシップ等、将来へのステップアップに繋がりそうなプロジェクトを当たりました。

そして忘れてはならないのは、以前にウガンダで過ごしたという経験を活かしてのプロジェクト。これは全て自分でアレンジする必要がありましたが、未だにウガンダのことを考えている自分がいて、アイデアが次々と浮かんできましたので、とても魅力的に感じました。
そして何より、もう一度ウガンダの空気を吸える、同僚に会える、友だちに会える!

遊びではないけど、きっとボランティアだった頃の自分とは異なる何かを得られるだろうと思い、いくつかの選択肢の中からウガンダへ行くことを決意しました。

…と決意したものの、難題だったのが教授選び。前回の記事にも書いたように、医療機器+国際協力という経験を持った教授は居なく、自分のやってきたこと、考えていることを伝えるところから始める必要がありました。簡単なプレゼンを作り、教授の部屋を訪れてはウガンダで調査したい内容について話し合いました。そしてついに、統計学の教授をメインに、流体力学と材料工学を教えている教授にもサポートしてもらうこととなりました。

その後、ウガンダのJICA事務所に連絡を入れ、ウガンダの保健省から正式な調査許可が得られるか、いくつかの病院に協力をお願いできないか、依頼をしてみました。


そして約1か月後。自分が以前に勤務していた病院含め、運良くも快く受け入れてくれる医療施設が複数見つかり、本格的にウガンダへ行く準備を進めることになりました。航空券の手配やビザ申請、予算の策定等、全て自分でアレンジしなければなりませんが、ウガンダへ戻れるという喜びで気持ちが高ぶっていました!

準備が整うと、出発まではしばらく時間がありましたので、勢いそのままにドイツ国内旅行へ。すごく素敵な街でしたので、国内旅行については別途書きます。


9月下旬。3ヵ月ビザを取得できたので、12月中旬まで滞在すると決め、いざウガンダへ!
ボランティアとして初めてウガンダへ降り立った時とは、全く心境が異なりました。故郷に戻ってきたような懐かしい感じ、フレンドリーに話しかけられた時に感じる心温まるような感じ、やたらとしつこく絡まれたときに感じる不快感、ルールのゆるーい感じ、のんびり進む時間の感覚など、全てが新鮮に思え、ウガンダへ戻ってきた喜びに浸ることができました。約2年ぶりでした。


さっそく、以前お世話になったJICA事務所の職員や、お世話になる病院へのあいさつ回り、そして待ちわびた、マサカ病院の同僚や村の子どもたちとも再会でき、泣きそうなくらい再会の喜びを分かち合いました。



現在でも、ウガンダではたくさんの日本人ボランティアが活動しており、多くの同世代のボランティアとも会うことができました。
ボランティアとして海外へ来ている日本人はとても志が高く、悩みながらも懸命に赴任国へ尽くしている姿には、本当に感心させられます。言葉の壁、文化の違いを感じることも多々あるはずですが、前向きに笑顔を振りまいて頑張っていて、その姿は非常に魅力的に映りました。一生懸命な人、目標を掲げて前向きに頑張っている人は、自然と応援したくなります。

2年間の任期を既に終えた立場として、当時の記憶を思い返しながら、自分の姿と重ねながら経験を共有することで、アドバイスになったり、何かのきっかけを掴む手立てとなってくれたら、それもウガンダに戻ってきた甲斐があったと思えます。また事実、自分も彼らから刺激を受けることができ、国際協力へもう一歩踏み込むモチベーションとなりました。


調査の主な目的は、3年前に日本の税金を使って供与された医療機器がその後どのような状況になっているか。そして、全体的なウガンダの医療機器事情を把握すること。更には、医療施設による医療格差を見てみたいという思いもありました。
以前に自分が勤務していた病院は、現在ウガンダ国内に14ある地域中核病院のうち1つで、国内トップクラスの病院です。この病院に加え、対象は他の地域中核病院を2つ。格下の地域病院を3つ。更に格下であるヘルスセンター3つを対象に調査することにしました。ビクトリア湖に浮かぶ島、カランガラという街のヘルスセンターは、車とフェリーで行く必要がありました。浜辺はリゾート地になっていて、調査の合間をぬってくつろぐこともできました。



どのような医療機器が使用されているか、どのような問題を抱えているか、どうすれば改善できるか。現状把握と同時にアンケートを取ったりなど、聞き込み調査も行いました。中には医療機器に全く関心のない人もいて、その関心のなさが医療機器を修理や点検をしてケアする、という発想に結びつかせないことも問題です。



この調査で特に自分に課した目標は、短期間の調査期間内に、しかも自分の名前、顔の全く知られていない病院で、どれだけ調査ができるか、医療スタッフから情報を聞きだせるか、また、人間関係を築くことができるか、ということ。もし今後、どっぷりと国際協力に携わっていくのなら、自分の宣伝ポイントを知り、うまく相手に伝えることが大切。自分を売りこむことができなければ、失格だと思ったからです。



ちょっとした工具や資料を持参していたので、修理をしたり、使用方法を教えたりと、調査に協力してくれた恩返しとして、時間の許す限り調査以外にも時間を割きました。



以前に勤務していた病院では当然ながら調査はスムーズでしたが、初めて訪れる病院では、まず医療機器を見せてもらえないこともありました。恐らくは、医療機器を持っていると判断されれば医療機器を今後、提供してもらえなくなる可能性があるから…?という思惑があるように感じます。WHOの調査では、開発途上国に存在する約80%の医療機器が、海外政府からの援助、寄付に頼っているそうです。
[http://apps.who.int/iris/bitstream/10665/44568/1/9789241501408_eng.pdf :WHO Medical Equipment Donation



寄付があるということは良いことですが、寄付された医療機器がどこまでケアされているかということについては悩ましく、医療機器のエンジニアとして懸念していることです。寄付される医療機器の質、ユーザートレーニングや据付けが充分に行われず、使われない、使えない、またはすぐに壊れる。スペアパーツや消耗品が手に入らず、輸入に頼ると莫大な費用が掛かる。寄付する側も、寄付の在り方についてもっと真剣に考えなければならないのです。国際協力だと謳い、粗悪品を送りつける国々があるのは事実で、それらの国には声を大にして言いたいです。


「アフリカはゴミ捨て場ではありません…。」


ヘルスセンターレベルの医療施設では、医療機器があっても医療スタッフがいない等、とても深刻な問題も抱えています。



何を隠そう、ここウガンダで日本政府が行っている国際協力も、深刻な問題を抱えています。日本製の医療機器を供与し、アフターケアは、ボランティアの派遣、医療機器のケアを促すプロジェクトは動いているものの、やはり医療機器の寿命を延ばしきれていないのが現状だと思います。使用方法、修理方法が分かっていたとしても、スペアパーツや消耗品の流通がなければ、壊れた医療機器は何も変わらないからです。そこに日本企業、代理店のサポートの手薄さがあります。

医療機器が寄付された数年後に調査団体が来て、


ウガンダ人は俺たちが供与した医療機器を壊しまくってる。」


と報告するのは、あまりにも無責任な発言。充分な事前調査や、考えられる問題への対応をシステム化しなかった、寄付する側の問題も含まれていると思います。

当然、医療機器が供与される際には、代理店が責任持ってケアするのが筋なのですが、信頼できる代理店が存在しないのがここアフリカで大きな問題であり、日本製医療機器がアフリカで定着できないのは、代理店がごく限られていること、そして中国やインド製品などとの価格競争に負けてしまうからです。

安価=質が悪い=製品の寿命が短い。これでは、医療機器が全て「使い捨て」と思われても仕方ありません。

現実問題、寄付が多すぎて、医療機器を修理するより、他の国や団体からの寄付を待つ方が早かったりもします。

今回調査した病院の中に、手術灯の電球やUPS無停電電源装置)が壊れ、スペアを購入すればいいだけなのに、ヒューズ1個を交換すればいいだけの話なのに、新しい医療機器を購入していた病院がありました。ほんの些細な問題で、ゴミ箱行きが決まってしまう機器を目の当たりにすると、心が痛みます。


この現状はとても目をつぶって見過ごせるものではなく、日本人として、日本製品の信頼を得られ続けるため、そして医療機器の本質を伝えたいと、いつも歯がゆく感じています。日本製品の質の良さを知っているウガンダ人は多く、まさに日本人が着目すべきなのはその点です。価格競争に負けても、製品の質やサービスで補い、長期間のスパンで見れば、良いものを長く使用する方が良い、ということを証明しなければなりません。



病院での調査とは別に、ウガンダ国内にある医療機器を取り扱う会社も訪れてみました。主要15社の中から数社に絞り込んで聞き込み調査を行いましたが、製品販売に力を入れていても、サービス内容や修理対応については、疑問を感じることもあり、顧客との契約が結べないと嘆く会社ばかりでした。日本製の医療機器にはめったにお目にかかれません。




他にも、ウガンダ最大であるマケレレ大学には、自分の現在専攻している学科と同じ、Biomedical Engineeringコースが2012年に発足しており、2016年1月に学士の卒業生が出ることがわかり、彼らにコンタクトを取ってアンケートを取らせてもらいました。就職先があるかとか、給料についても聞いてみました。

もともと知り合いはいなかったのですが、以前マケレレ大で勤務していた専門家を当たったり、以前にマケレレ大の学生に混ざってバスケットしていたので、懐かしの友だちを伝に現役学生まで辿り着きました。何とかなるもんです。
ここに混ざってバスケットしていたころが懐かしい。



更には、ウガンダの電気会社であるUMEME、水質を管理しているNational water officeに出向き、話を聞いてもらったり、聞き込み調査を続けました。医療機器と関係ありそうなことはすべてクリアにしておきたいと思ったからです。



調査すればするほど、課題は次々に挙がってきます。エンジニアの教育の質、雇用問題。電気、水道のインフラの不安定さが引き起こすトラブル。政府の汚職により保健省への予算が下りず、結果として医療機器のマネージメントが滞ったり…。


一筋縄ではいかないのがアフリカ諸国に共通して言えることだと思います。
そこにどうアプローチし、自分は貢献することできるのか、非常に考えさせられた3ヵ月間でした。


ウガンダを去る直前、以前勤務していたマサカ病院のスタッフから、とても嬉しいプレゼントをいただきました。写真&メッセージ付きアルバム。約30人のスタッフが、再会の喜びと、再び別れなければならない思いを綴ってくれました。



特に印象に残った言葉を一部抜粋。


「The beauty of life doesn't depend only on how happy you are, but also how happy others can be because of you.

人生の美しさは、どれだけあなた自身が幸せかということだけではなく、あなたが、どれだけ周りの人をも幸せにできるかということで決まる。」



再会と新しい出会いに恵まれた、充実した3ヵ月。ドイツに戻り、ポケットに残っていたウガンダシリングはただの紙へと変わりました。



ドイツはすっかりクリスマスモードです。



日焼け顔で薄いジャケットを1枚はおり、大きなリュックを背負った自分は完全に場違いでした。




とりあえずお腹がすいてたので、空港近くのラーメン屋に駆け込み、その後はしばらくスタバでくつろぎました。ウガンダで過ごした3ヵ月は何だか夢を見ていた気分です。


「YUSKA!ホットチョコレートができたよ!」


考えたら、日本のスタバでは名前を聞かれ、紙カップに名前を書かれることはありませんね。飲み物ができたら呼んでくれます。スペルなんて毎回適当なので、こうなります。




またしばらくはドイツで論文まとめに精を出すことになりそうなので、頑張ります!
同時に卒業後のことも具体的に考えていきます。



Ichimasa