ドイツでの新生活

ドイツへ来て、早くも2か月が経とうとしています。
近況を報告します!

現在ドイツにいますが、オランダ、ルクセンブルクとの3か国の国境近くである、小さな田舎町に住んでいます。町の名前はユーリッヒ(Jülich)。この街にある大学院で医療機器を勉強しています。
クラスは約20人で、半分はドイツ人、半分は世界各国から生徒が来ています。スペイン、メキシコ、イラン、インドなどで、日本からは1人です。意外に中国人がクラスにはいません。ですが大学全体を見ると、かなりの中国人がいます。世界中どこへ行っても、やっぱり中国人とインド人はたくさんいますね。
授業は英語ですが、ドイツ語の授業もありますし、日常生活のために勉強しなくてはなりません。英語が話せる人もけっこういますが、やっぱりその国では、その国の言語で話す方が親近感を持ってもらえます。

実はウガンダでドイツ語を少し勉強してきているので、カタコトで買い物とか観光を楽しんでいます。



到着したのは3月初旬で、雪はなくても気温は約5℃。
到着してすぐは家も決まっていないので、ホテルを転々としながらまずは家探しから始まりました。住民票を登録し、健康保険に加入し、VISAを取り、銀行口座を開設し…今考えたら、何とかやってこれたなーと思います。



ここでちょっと青年海外協力隊の話。青年海外協力隊は、開発途上国で生活が大変そうだと想像するかと思いますが、それぞれの国にはJICAオフィスがあって、ボランティアコーディネーターといわれる、ボランティアを支える調整員がいます。家は事前に決められていますし、VISAの手続きもやってくれますし、銀行口座の開設だって紙一枚提出するだけでカードが出来上がるし、体制が整っているので安心できます。
一方で、留学は自分で全部行う必要があるので、自分自身で気をつけなければなりません。



この小さな田舎町には電車が走っていますが、1両だけ。通勤ラッシュは30分おきに走っていますが、普通は1時間に1本です。田舎さが伝わりますかね。



田舎ならでは「鹿に注意!」


電車は不便だったのですが、先月、近所にある自動車学校で、中古自転車のフリーマーケットがありました!



おしゃれな自転車を見つけましたので、今は自転車で通学しています。
懐かしいチャリ通。
こっちの自転車はペダルを後ろに回すと、それがブレーキになるので初めは慣れませんが、慣れると心地良いです。手のブレーキを使わなくて済みます。



今は春なので、気温は20℃近くになることもありますし、気持ちよくサイクリングできます。驚くことに、今の季節は夜9時くらいにならないと空が暗くなりません。朝は6時ごろから明るいです。時間の感覚がおかしくなりますが、日中が長いと外にいる時間も長くなります。



人に踏まれないのか、背の高いドイツのタンポポ



桜も咲いています。


日本ではあまり馴染みがありませんが、見晴らしのいい丘で360°辺りを見回すと、遠くにあるもの含め、発電用の15m~20mもある巨大風車が、約100台も見えます。エコに力を入れるドイツ人は、できる限り自然の力を使うことを好みますし、このような風力発電機があちこちに散在しています。
そういえば、自分のいる大学キャンパスには、太陽熱から電気を作る発電所があるそうです。



休日には馬に乗って近所を散歩するドイツ人を見かけますし、気球やハングライダーで遊ぶ人も多く見かけます。


幸い、バスケットコートも近所にあるので、いつでも気晴らしできそうです!


近所に広がるきれいな菜の花畑。


とても落ち着くユーリッヒでの生活を楽しみたいと思います。
ドイツは日本のように世界的に見ても高い技術を誇っていますので、たくさん技術を盗んできます!また報告していきます。


Ichimasa

日本の技術を世界へ!!

ウガンダから帰国し、親族や友達に会ったり、旅行や遊びに忙しい日々を過ごしました。あっという間にドイツへ出発となり、3月6日にドイツへ無事辿り着きました。とても田舎の、落ち着く雰囲気の街です。まだ家を探しているような状況なので、こちらは落ち着いたら紹介していきます。


日本には素晴らしい企業が数多くあると思いますが、世界へ貢献していると肌で感じることができる企業について紹介しておきます。

この企業を知ったのは、ウガンダで生活しているときでした。ウガンダ人のエンジニアで、日本で2ヶ月程度の研修に参加してきた2人に会いました。話を聞くと、彼らは目を輝かせ、遠い世界へタイムスリップしてきたかのように活き活きと日本での経験を語っていました。
「日本で医療機器の研修・・・?」

そこから興味を持ち始め、その企業をつきとめ、コンタクトを取ることができました。話を聞くと、JICAから委託され、医療機器のトレーニングを世界中の方々を対象として行っていると聞きました。そんな素晴らしい企業が日本にあることを知りませんでしたので、このトレーニングに参加してみたいと思い、参加を依頼してみました。すると、あっさりOKしていただき、実現することとなりました。
場所は福島県郡山市。日本国内とはいえ、宮崎県から遠く離れた地でのトレーニングです。

2月15日。宮崎から東京へ飛び立とうとしましたが、まさかの欠航…宮崎は晴れていて全く問題ないのに、関東地方は大雪で大変な事態に陥っているようでした。
仕方なくその日は宮崎市内に宿泊し、翌日に東京へ行くこととなりました。翌日、東京を経由して一気に福島県へ。新幹線は運行していましたが、風と大雪の影響でスピードが出せないらしく、1時間くらいの遅れが出ていました。
それでも何とか夕方には郡山駅に到着することができましたが、そこには大変な光景が広がっていました。積雪はヒドイところで約80cm。バスは運行できず、タクシーはチェーンを巻いて何とかゆっくり走っているような状態。駅前には、タクシーを待つ長蛇の列ができていました。平均でタクシーを2時間以上待っているとのことだったので、歩いてホテルへ向かうことにしました。



普通に歩いて15分くらいかかる距離のホテルでしたが、雪道を1時間近く歩いてようやく到着しました。歩道にも大量の雪が積もっていて、荷物は重いし、気持ちが折れそうでした。



そして翌日月曜日にはトレーニング開始です。
現在はアフリカのフランス語圏からの参加者向けのトレーニングを行っている最中でした。参加者は、ベナン共和国ブルンジ共和国コンゴ共和国ジブチ共和国ハイチ共和国セネガル共和国から全部で9人です。彼らには寝泊り用の部屋がそれぞれ用意されており、寒い気候に慣れていないので、防寒着も支給されており、初めての日本でも問題なく生活できるようになっていました。

講師は医療機器メーカーの重鎮と思われる経験豊富なエンジニアを招いてのトレーニングでした。開発、営業や修理などに関わってきた、医療機器メーカー直々のトレーニングは、とても価値あるものでした。授業は日本語で、フランス語への通訳がついて行われていました。翻訳者も重要人物の1人です。



フランス語圏から来ている参加者とはいえ、英語も知っているのでコミュニケーションをとることもできました。海外の語学教育は進んでますよね。

自分はウガンダで日本製の医療機器にたくさん出会い、苦戦してきたことを思い出しました。自分でマニュアルを読んで、自分なりのマニュアルを作成したり、使い方のトレーニングをやってきたり、試行錯誤やってきました。自分がウガンダでやってきたことを、復習や訂正することができる、役に立つ情報ばかりでした。

自分も医療機器メーカーに勤務した経験があるので強く思いますが、病院で働く医療機器のユーザーよりも、大学で医療機器を教えている先生よりも、やっぱり医療機器を製造、販売しているメーカーが一番確実で正確な情報を持っています。
その中でも、メーカーに数十年勤務されている方々を招いての講義など、贅沢すぎます。



このトレーニングは、座学に限らず、実技、工場見学、観光など盛りだくさんです。このような貴重な経験をアフリカの方々へ積ませ、それぞれの国に知識を持ち帰って活かされる。こんな素晴らしい事業を行っているこの企業には、本当に感心させられます。


電気メスで大根を切る実技の授業。


日本でこのように海外の方々を対象とした医療機器のトレーニングを行っているのは、日本でこの企業だけらしいです。
また、彼らの文化にも触れることができました。自分はウガンダで撮った写真をプリントアウトしたものを持参したのですが、「俺の国はこうだ、あーだ」と、食いつきが良かったです。そして親近感を持ってもらえることができました。セネガルから来ていた参加者がセネガル料理を振る舞ってくれ、夕食を共にすることもありました。

セネガル料理「チェブジェン」。具材はいろいろと変わるようですが、このときは鶏肉、玉ねぎ、ピーマン、ニンニクなどをご飯にかけたもの。スプーンを添えてくれましたが、セネガル風に手でいただきます。


みんな工夫しながら日本での生活を楽しんでいます。


ウガンダに行く前に、このトレーニングに参加していれば…」と思いました。もっと貢献できていたと思います。
レーニングは約3か月続きますが、時間と金が持たず、自分が参加できたのは、たった1週間です。しかしそれだけでも、有意義な時間を過ごすことができました。
ドイツへ出発する前に、このような企業に出会えて、本当に良かったです。



貴重な経験をありがとうございました!


Ichimasa

今後の展望

ウガンダから帰国し、2年間のギャップを埋めるための1か月はあっという間で、すっかり日本人へと戻ってしまいました。この1か月。特に異常があったわけではありませんが、病院にもかかりました。健康診断、接骨院、歯医者…とりあえず検査してもらいました。

健康診断の結果は異状なし。しかし、ちょっと身長が縮んだかな…?と思い、整骨院へ行ってみました。すると、ウガンダの柔らすぎるマットレスで2年間寝続けた結果、背骨がかなり歪んでいたみたいでした。さっそく矯正してもらうと、身長が一気に2cmも伸びました。むしろちょっと伸びました。笑
歯は異状ないはず、と思いながらも検査に行ってみると、虫歯が3つも…。それらも即治療しました。


健康になったところで本題。
帰国し、今は無職となってしまいましたが、来月から学生に戻ります。
ウガンダに行く前には、一刻も早く働いて稼がなければと思っていましたが、見事に考えが変わりました。何かと力不足を感じた2年間。自分を知ったことで、自分にはもっと勉強が必要だと強く感じています。

分野は変わらず「医療機器」。そのマスター課程に進むことに決めました。実は、ウガンダで生活しているときに既に申し込みを終え、合格通知を受け取ることができました。
場所はヨーロッパ。ドイツです。ドイツ西部にケルンという大きな街がありますが、更に西にある、アーヘンという地区に行きます。国境近くなので、オランダ、ベルギー、ルクセンブルクなどに簡単に行ったり来たりできそうです。
由緒ある昔ながらの古い街並みが残る、素敵な場所のようです。



前職はドイツの医療機器メーカー、ウガンダで生活していた時も、近所にはドイツ人観光客の受け入れをやっているウガンダ人の同僚がいましたし、ウガンダ人と結婚したドイツ人もいました。学費も安いし、授業内容もしっかりしていて信頼できそう。何かとドイツと縁を感じますので、ドイツを選びました。
また、開発途上国の現状を知った今、日本以外の先進国で学んでみたいと思うのも事実です。

勉強するのであれば、当然その後を考えなければいけませんが、そのプランはまだ漠然としているので、固まったのちに。

出発は来月5日。出発まで1週間しかありません。今後もこのブログを通じて、ドイツでの生活も報告していきたいと思います。


Ichimasa

2年ぶりに味わう日本

2014年1月9日。2年間生活したウガンダ共和国を離れ、ついに日本へ帰国しました。
帰国の数か月前になっても実感が湧きませんでしたが、帰国直前まで、多くのウガンダ人が送別会を開いてくれ、徐々に帰国するということに現実味を持たせてくれました。帰国前約1か月の間に、自分のために5羽の鶏やブタが犠牲となってくれました。



ウガンダを恋しく思う気持ちはありましたが、2年ぶりの日本もとても楽しみで、複雑な気持ちで帰国の日を迎えました。

ウガンダ人は、人を送り出すときには泣きません。それは、泣くことがその人のプラスにはならず、その人の新しい門出であり、喜ぶべきであるからと考えるからです。
旅立つ相手を思いやる気持ち、自分の気持ちを抑えてまで、門出を祝福するウガンダ人の強さが伺えます。

飛行機に乗っても機内では落ち着かず、またウガンダに戻ってくる、と心のどこかで考えてしまいました。
2年間の活動について、大きく後悔しているつもりはありませんが、思い起こせば、あれもこれもと次々出てくるものです。あーすれば、こうしていればと、理想が次々と頭の中を巡ります。しかし、その理想像があるからこそ向上心が持て、次のステップへ繋がっているのかなと思います。



1月9日にドバイを経由して成田空港に到着しましたが、その日は今年一番の寒波で、雪がちらほら見えました。一緒に帰国した同期隊員も厚手の上着など持っているはずもなく、薄い格好に日焼けした顔で、周りから見ると、とても浮いた存在だったと思います。

特に楽しみだった、日本料理。自分は特に刺身などの生ものが大好物なので、海鮮料理店へすぐさま足を運びました。
同期隊員と2人で店に入り、2人と知らせるために「2」を指で示すと、定員さんはなぜか「Two!」と言いましたので、日本人の雰囲気とは違っていたのかもしれません。笑
店内は普通の照明でしたが、ウガンダでは、停電で薄暗い中での食事ばかりだったので、店内がキラキラしていて眩しく感じました。
周りはスーツを着たサラリーマンで溢れ、何だかアウェイな雰囲気の中、日本食を心待ちにしました。
料理は海鮮のオンパレード。サーモン、カンパチ、ブリなどの刺身、ハマグリの七輪焼き、マグロのステーキ、粘り気のある白ご飯…涙が出るかと思ったくらい、感動的なものでした。この感動は決して忘れません。忘れてはなりません。
感動の冷めないまま、時差によって全く眠れない中、ホテルで一夜明かしたのを憶えています。

翌日、2年間を全うし無事に帰国しましたので、外務大臣からの感謝状授与式へ参加させていただくことができました。ここでは運良く、ボランティアを代表して、自分のウガンダでの活動を報告させていただきました。
宮崎県から新聞社も駆けつけてくれ、記事用の写真を撮ってくれました。


日本の信頼を強化するJICAボランティアの高い志
http://www.jica.go.jp/topics/news/2013/20140115_02.html


宮崎に帰省してからは、親戚や友だちと会い、充実した毎日を過ごしています。何事も新鮮に感じられ、生まれ変わったように感じます。
日本で生活すると、この感動も徐々に薄れていくと思いますが、できる限りこの新鮮さを忘れないよう、何事にも感謝できる人間でいたいと心から思います。



今後の予定については、次回の記事でお伝えしたいと思います。


Ichimasa

青年海外協力隊を目指す人へ

表題について生意気なことを言える立場ではありませんが、一応アフリカ生活も2年を迎えることができそうなので、自分の経験から思うことを素直に書きます。医療機器という職種なので、考えが偏っていたり参考にならない人も多いかと思いますが、できる限り共通して言える事、心構えなどをキーポイントを交えて綴ります。


自分は協力隊への参加を決めたとき、
「自分に何ができるんだろう・・・?」
ウガンダ人ってどんな人・・・?」
「うまくやっていけるかな・・・?」


参加を決めたものの、こんな心配ばかりしていました。職種は医療機器。臨床工学技士という資格を活かすつもりでしたが、実務経験としてはX線医療機器の会社での勤務経験しかありませんでした。でもきっと何か自分にできることはあるだろうという信念はどこかにありました。出発までは、希望と不安な気持ちが入り混じったような状態が続きました。



キーポイント:自分を知る

自分が今まで培ってきたものは何か、もう一度じっくり見直してみてください。何だっていいんです。仕事の経験ももちろん大事ですが、好きだったこと、得意なこと、苦手なこと、趣味など。仕事と繋がらないことでも、見方を変えれば活かせます。
例えば、自分はもともと絵を描くのが好きですし、折り紙とか細かい作業が好きでした。それを活かして仕事場を飾りつけるのも良いかも知れません。分かりづらいところに標識や掲示を出すのもいいかもしれません。小学校や村を訪れると、折り紙で子どもたちと遊べますし、15年くらい続けてきたバスケットボールだって、コートはあるので教えることもできます。
それから、日本人が当たり前のように使用しているパソコン、デジカメなどの電化製品。
エクセルで表が作れますか?ワードで書面を作成することができますか?パワーポイントを使ってプレゼンができますか?それだけでもたくさんの人の仕事を助けることができます。
自分の例でいうと、病院のデータ管理を手伝うことができます。書面で自分の意思表示をすることができます。自分とスタッフだけのユーザーマニュアルを作れます。自分の知識や経験をプレゼンすることができます。
「国際協力はこれだ!」という決まりは無いので、自分の経験から何ができるか、何がやりたいのかを見つけることから始まると思います。何か目標を掲げる必要があると思います。
まず、自分自身を見直すことが第一歩です。




キーポイント:現状把握

ウガンダに赴任して、これまで見たことも無い医療機器にたくさん出会いました。到着してすぐは、とりあえず巡回し、院内にある医療機器を1台1台見て、必要そうなものは写真を撮りました。そして医療機器の一覧表を作成しました。一覧表には、各医療機器に対して状態を評価するために、ABCDEFといったように記入し、後から見直したときに役立てました。一覧表は作成するのが大変でしたが、作ってしまえば2年目以降は情報をアップデートしていくだけです。
ここでも、特にこれといった決まりは無いので、自分でルールを作っていけばいいと思います。例えば、上の例で言うとAは良い状態。Bは良い状態なのに使われていない。Cは使われているけど問題がある。Dは使われているけど型が古すぎる。Eは使用できないけど修理できる。Fは壊れていて、修理もできない。といった具合です。
「Bがついている理由は?」と考えていくと、必要なことが見えてきます。単に使わないのか、使い方が分からないのか、その2つだけでも大きな違いがあります。
どんな職種で派遣されたとしても、やっぱり「現状把握」。
そしてその現状から自分が介入できること、自分が手助けできそうなことを探せばいいのです。ウガンダには同じ職種が他に2人居ます。全員、臨床工学技士の資格を持っていますが、1人は総合病院の手術室で毎日を過ごしていた人で、1人は人工透析のクリニックで働いていました。そして自分は医療機器のメーカーです。同じ職種でも、バックグラウンドはそれぞれ全く異なるのです。職種が医療機器だからといって、全ての医療機器に対して対応できる臨床工学技士などいないと思いますし、日々医療機器は進歩し、新しいタイプが次々と現れるので、自分は経験が足りないから・・・などと気負いすることは無いな、というのが今の正直な意見です。
実物を見たときにどう対処するか、それが2年間の活動で「自分」というものを作っていくのだと思います。




キーポイント:アプローチ

現状を把握できたら、自分のこれまでの経験から何ができるか、そしてどうアプローチしていくかが鍵です。勤務先の人は、自分にどんな経験があって何ができるか分かりませんし、増してや自分自身がそれを探している状態でした。笑
現状把握ができれば、簡単そうなこと、些細なことはすぐに対応します。分からないことがあればマニュアルを読んで、手助けします。分からないことは、無理して分かったフリをする必要もありません。対応を繰り返していくことで、自分はこんなことができると、徐々にアプローチしていくことができると思います。
新しい仕事に就いたとき、このような境遇にあるのはどこでも同じではないでしょうか。自分にできることを探して、徐々に自分の居場所や地位を気付いていく。同じです。




キーポイント:フィードバック

そういった日常を過ごしていると、病院を巡回する度に相談を持ちかけられるようになりました。
「あの機械の調子が良くないんだけど・・・」
「あれってどう使うんだっけ?」

解決しそうな問題はその場で回答できると思いますが、解決できない場合もあります。この時に大事なことは、放置しないこと、忘れないようにメモすること。また、放置されないように働きかけること。解決できるのか、できないのか、何か提案できるのか。特にお金が絡むと時間を要し、解決に導くことがすぐには難しいかもしれませんが、一緒になって考えることが大事です。
これは一緒に働いているという、信頼関係にも繋がると思います。
新しいものに出会ったらそこで学べばいいですし、分からなかったら分かる人やメーカーに聞いてみる。そして次回からはサポート無しでできる、そんなことを積み重ねていけば自然と知識もつきますし、理解できれば自分がやっていることに自信が持て、そこに楽しみが見出せると思います。




キーポイント:プラス思考でやってみる

NIKEの有名なキャッチフレーズ「Just do it.」。この言葉は好きです。
「何年も放置にされた倉庫があるから、掃除したい」
こんなことを突拍子もなく言われたことがあります。なぜ自分にこんな事を持ちかけるのか疑問に思いましたが、
「こいつに言えば何とかなるかも。」「何とかしてくれるかも。」
とでも思ってくれたのかな、そう勝手に感じました。笑

何だか腰が重くなるようなことを引き受けるときは、究極すぎるくらいのプラス思考がいいかも知れません。
「なんでそんなこと俺に言うんだよ・・・」
とブツブツ言いながらやってみるのと、
「たくさんの人に頼ったけど、みんなに断られて、泣く泣く自分を頼ってきたのかな。」
と考えるのとでは、相手への対応も変わるでしょうし、自分のモチベーションもまったく異なります。

でもこんなときは、自分1人でやるようなことはしません。
「そんなに大変そうな仕事なら、病棟が忙しくないときに一緒に!」
とか言って、できる限り巻き込むべきです。汚れたらあの日本人がまた掃除してくれる、と思われては、ただの掃除屋さんです。
それから、「ウガンダ人のためにやってあげている。」という考えは捨てたほうがいいと思います。うまく物事が進まないとき、「やってあげてるのに・・・」と考えてしまうと負の連鎖。ストレスの溜まる一方です。
むしろ主体的に、自分がこうしたいから、病院をきれいにしたいから、一緒になってきれいにしていこう!と考える方が自然かと思います。
海外ボランティアというと、途上国を発展させるために、遠くの国からスーパーマンが助けに来たような印象を受けるかもしれませんが、こっちが学んでいることだってたくさんあります。だから、やってあげているというより、経験させてもらってる、または一緒に経験する、という方がしっくりきます。
みんながやりたくない事を、プラス思考で提案したり引き受けて、一緒に巻き込んでやってみる。それが良い例として、病院全体に自然と拡がっていくことを期待して行動しています。
また、キツかったり辛いときでも、ネガティブなことばかりを言わないようにもしています。

あなたの周りの人は、よく笑っていますか?若しくは機嫌の悪い人ばかりですか?
自分の周りの人は自分の鏡とよく言われますね。自分が笑っていれば、話している相手も笑ってるはずですし、落ち込んでいれば、相手もそんな表情をしていると思います。自分は、自分の周りの人が笑顔でいてほしいので、自分もできる限り笑っておきたいです。
何かと相談を持ちかけられ、自分はよく「何でも屋」と言われますが、自分はそれで良いと割り切っています。むしろ、相談してくれてありがとう!と言ってやりたいくらいです。
全ては、お互いの成長のため。




キーポイント:常に日本と比較しない

異文化に溶け込もうとするとき、邪魔をするのは母国の考え方、価値観。でもそれは悪いことではありません。それを理想として持っていれば、改善すべきことはたくさん見つかるからです。
ですが、日本ならこうできるのに、日本人ならこうするのに・・・そんなことばかりを考えても意味ありません。問題は、その理想図を持っていない人に自分の考えを伝えるときです。
例えば、病院をきれいにしよう!という活動を拡めようとします。
自分から見たら、「きったないなー。」
と思うことでも、それで何十年もやってきたウガンダ人からすれば、これが普通、改善の必要はない、と言われれば困ったもんです。
そもそも、ウガンダ人は日本人の生活にあこがれているかも知れませんが、日本人になりたいわけではありません。日本は発展していると知っていますが、実際に日本へ行ったことがあるウガンダ人なんて、ほんの数えるほどです。
ウガンダにはウガンダの発展の仕方があるはずですし、提案はしますが、自分の独断と偏見で進めるようなことはしないようにしています。何か実行するときには、必ずスタッフに相談するようにしています。
日本はこうです。日本人はこうします。だからそうしなさい・・・?それが常に通用するとは思いません。そんなことばかりをウガンダ人にひたすら投げかけても、日本はスゴイねー。とは言うかもしれませんが、実行することなくそれで終わりかも知れません。逆にそれらを窮屈に感じる人がいることも事実です。
ウガンダ人にはウガンダ人のやり方があります。だから日本人の考え全てを押しつけるのは避けたいものです。ウガンダのいい部分を残しつつ、日本からいいところを盗んで、ウガンダのやり方や標準を築いていくのが将来のウガンダにとって価値あるものへとなるはずです。




キーポイント:いい人をみつける

活動していると、必ず自分と気の合う人が出てきます。それはここでは恋人、という意味ではなく(笑)いい考えや人柄を持った同僚や友だちという意味です。
自分で見つけていく必要がありますが、活発な人、こっちの考えを受け入れよう、理解しようとしてくれる人が一般的には当たると思います。
これは異国の地で長年生活する上で、また自分が去った後のことを考えても重要な要素です。
先ほどの例を使えば、もし院内をきれいにしたい場合、やる気と可能性の最もあるスタッフと力を合わせて進めていくのは、一番手っ取り早い方法です。きれいにしたのに、1週間もすればまた汚い状態。そんな状態であれば、重要性がわかってくれるまで後回し。それでもいいと思います。
それでもいいと言えるのは、そのまま放置してさようなら!というのではなく、自分の経験から言うと、1つの病棟をきれいにしてモデル病棟を作れば、噂が拡がって全病棟から依頼が来るようになるからです。教え込む、押し付けるより、必要だと自ら気付かせ、自ら動いてくれれば成功です。それは、国際協力の最も難しいところであり、見方を変えれば大きなやりがいの1つだと思います。



キーポイント:モチベーション

青年海外協力隊は、医療機器のように何か手に職があったとしても、所詮はボランティアです。背中にJICAという大きな看板を背負っていますが、本人そのものに然程の権限があるわけではありません。お金の問題に直面すれば、配属先の同僚や上司に相談しますが、簡単なことではありません。1回話しただけで簡単に手続きが済んでお金が手に入るようなことはありません。
病院ではたくさんの問題が常に錯綜していますし、優先順位が低いと判断されれば、回答を得られないことも多々あります。定期的に話題に挙げ、何度も何度も話して、ようやく理解が得られたとき、達成感はありますが疲れます。
どうしても配属先からの承認が降りないとき、JICAが助けてくれることもあります。購入物品や勉強会などに必要な経費が使えるのですが、これもいつもではありません。配属先も、いつまでもJICAに頼るわけにはいかないので仕方の無いことです。

なかなか物事がスムーズに行かない・・・それはアフリカで生活する醍醐味です。効率的に働かなかったり、電気が止まったりなど様々な要因もありますが、感覚的には日本で1日でできることが、ここでは1週間かかります。2年間は約100週間、ということは100日分くらいの仕事しかできてないのかな・・・とか考えてしまうこともあります。
考えすぎて行き詰ると、仕事に対するモチベーションが絶対に下がります。その時、どうやってモチベーションを回復するか、それは自分自身が一番知っていることだと思いますが、2年間生活する中で大切な要素です。
モチベーションが回復するきっかけは音楽なのか映画なのか、スポーツなのか、人によってそれぞれ異なりますが、気晴らし方法はあればあるほど自分の心強い味方となってくれるはずです。

自分は一般的なストレス解消法も取り入れていますが、ウガンダだからこそできるストレス解消法があるので紹介しておきます。
自分は、ウガンダに来てウガンダ人を知るために来ました。病院で勤務していると、当たり前ですが健康な人はあまり居ません。なので本当のウガンダを知らないのじゃないかと思い、週末時間のあるときに、村へ足を運んでいます。
そこには裸足で走り回る元気な子どもたち、楽しそうに会話する人々で溢れています。やはり病院で働いているだけでは、本当のウガンダを知ることはできないので、村を訪れることは楽しいものです。ウガンダ人は陽気な人柄ですので、みんなが喜んで受け入れてくれます。

それから、旅です。前回の記事で書いたように、ウガンダを知ると、ウガンダが基準となって他国との違いを見ることが出来ます。休暇を取って、他国も見ておく必要があると思います。
同じアフリカでも随分と異なりますし、異文化に触れることは楽しいものです。そして気分転換できたら、それがまた仕事へのモチベーションへと繋がります。

また、ちょっと意外に思うかも知れませんが、青年海外協力隊には、評価の基準が具体的に決まってません。自分のさじ加減で、いくらでもサボれますし、いくらでも働けます。
あまりに勤務態度が酷いとそれは問題になりますが、この2年間を図る物差しなどはなく、仕事する上で会社のように細かなルールもありません。自分次第で自分をコントロールする必要があります。成長もできますが、腐ることも簡単にできます。自由な分だけ、自分自身に全ての責任があります。
確実に言えることは、絶対的な「信念」が必要なこと、それから信念を貫くためのモチベーションが維持が必要なことです。




キーポイント:仕事にプライドを

掃除のおばちゃんと話したとき、素晴らしいなーと思うことがありました。病院が開院する前後に床や窓などを掃除する人がいますが、その中に、挨拶をするといつもニコニコしていて、楽しそうに掃除しているおばちゃんがいます。ある日、何でいつも幸せそうなのか聞いたとき、彼女は、
「仕事があるだけでも私は幸せ。この子のためにもね。」
そういって指差したのは、背負っていた1歳くらいの小さな男の子でした。掃除にプライドを持つことはできるのか・・・自分の中のどこかで、彼女を見下していたのかも知れません。そんな質問をしてしまった自分が恥ずかしくなりました。
同時に、どんな仕事をしていてもどこにいても、自分のやっている仕事にプライドを持たなければならないことを認識させられましたし、できる限り、自分も楽しみながら仕事するように心がけようと思うようになりました。
全てを1人でこなせる人なんていません。病院を例で言えば、患者の容態を診ることができる医者がいて、サポートする看護師がいて、必要な物品を調達する事務や経理担当者がいて、清潔を保つためのクリーナーがいるのです。誰が欠けても病院は運営できませんので、それぞれが自分の仕事に誇りを持つべきなのだと思います。
どうしようも無いくらい行き詰っても、充分なサポートが得られなくても、ただのボランティアだとしても、青年海外協力隊としてプライドを持つべきなのだと思います。それはたくさんの選択肢から自らが選んだ道だからです。




キーポイント:形に遺す黒子役

何度も伝えてきましたが、ボランティアとしての寿命は2年。その後は、まだボランティアが必要と判断されれば後任が引き継ぎます。
基本的には、青年海外協力隊は、1つの配属先に3代~4代で終了です。1代が2年間活動しますので、平均で6~8年間は青年海外協力隊がその施設にいることになります。
ボランティア無しで活動が継続されるようにすることは、全ての職種で同じ目標です。いくら主体的に活発に活動を全うしたとしても、その人が居なくなれば活動もストップ。それでは、いくら頑張ったとしても、活動失敗として終わるのです。
人形に命が宿ったように巧みに操り、ステージを慌ただしく動き回る黒子。それがボランティアの立場を表現するのにぴったりの言葉だと言われます。
また、自分の経験は必ず形にしておく必要があります。報告書や独自に作ったマニュアルをプリントアウトしてファイルしておく。できればそれらを使って、実際に現場に行って説明したり、使用してみることで信憑性が増します。
将来的に自分が居なくなった時、彼らが自分たちで運用できるように、あくまでそのサポートとして、自分がやったことを記録しておくことは大切なことです。
自分が去った後に何が残るか、また2年間という限られた中で何が残せるか、それは全ボランティアにとって大きな課題です。




こんなところでしょうか。書いていて思ったのですが、実は日本でやったこととあまり変わらない気がします。
アフリカに来れば医療機器の知識が付くわけではありませんし、英語が自然と上達するわけでもありません。
全て自分次第です。

ふと思い出した、スラムダンクの1コマ。安西先生が、渡米して亡くなってしまった教え子から受け取った手紙から。
「バスケットの国アメリカの――― その空気を吸うだけで僕は高く飛べると思っていたのかなぁ・・・。」



環境を変えれば自分も変わるだろうと思い込むのではなく、自分自身が自分を変えようと思わない限りは、どこでどんな生活をしていても、同じような結果になるのだと思います。

今回の記事が協力隊を目指す人に限らず、人生の岐路に立っているような人の役に立ってくれると嬉しいです。
ここウガンダで、たくさんのことを考えさせられています。この経験は人生の中でも、かけがえのない経験となってくれそうです。


Ichimasa

タンザニアの旅

南アフリカヨハネスブルクから飛行機で約4時間半、タンザニアの経済中心であるダルエスサラームへ到着しました。タンザニア経済の中心地ではあるものの、法律上での首都はドドマという都市のようです。


タンザニアの基本情報から。

人口:
約4,622万人(2012年)


面積:
94.5万平方キロメートル(日本の約2.5倍)


人:
ウガンダ人と似ている。挨拶に始まり、ちょっかいを出してきたり、やたらとしつこいこともある。よく言えばビジネス、サービス精神旺盛。フレンドリー。


街並み:
平地で海があることを除けば、街の清潔度合い、ショッピングモールやオフィス街、ウガンダと似たレベル。海が近いので景色は良く、海鮮が食べられる。インドやアラブ系住民が多いからか、スパイス農場がたくさんあり、スパイスで作ったカレーもおいしい。


言語:
街中では、英語がほとんど通じない。スワヒリ語をちょっと知っているだけで、買い物が楽になる。日本人観光客も多いようで、カタコトの日本語で話しかけられることが多い。



空港からタクシーで約30分でダルエスサラーム中心街へ到着しました。既に夜だったので、ここで活動する青年海外協力隊の家へ泊まらせてもらいました。そこで活動する彼の職種は「料理」。職業訓練校で生徒に料理やサービスを教えているそうです。
また、ここでタンザニアの旅を一緒に続ける友だちとも合流しました。彼はケニアの首都・ナイロビで活動する青年海外協力隊です。3月にマラウィ、ザンビアへ行ったときも一緒でした。ちなみに彼の職種は「品質管理」。ケニア中にある倉庫に保管されている緊急食であるメイズ(トウモロコシ)の品質を管理をしているそうです。
青年海外協力隊はいろんな職種があり、人生おもしろそうな人ばかりです。

それからケニアといえば、最近起きたテロ。
実は彼がよく行くショッピングモールでテロ組織・アルシャバーブが起こした無差別テロだったらしく、一歩間違えば巻き添えを食らっていたそうです。恐ろしいことです。ケニアと隣接するウガンダにもアルシャバーブの一味が侵入したとの情報もあり、自分も人事とは思えません。

ですが、旅中はテロのことなんてすっかり忘れていました。ダルエスサラームからフェリーで約2時間、ザンジバル島へ向かいました。ザンジバル島は世界的にも有名で、観光客で溢れるリゾート地です。

到着すると、そこには古びた白い建物が並んでいました。そこは「ストーンタウン」と呼ばれ、街自体が世界遺産に登録されているほどの、赴きある街並みです。狭い道路に白い建物が所狭しと並んでいますし、道は迷路のようで、何度も迷いました。
狭いところでは、隣接する建物を同時に触れることができるほど狭いです。



その日は海のきれいなビーチまで一気に行きたかったので、そのままバスでザンジバル島の北部にある「ヌングイ」という街へ。バスで約2時間、ケンドゥワロッジというところに宿泊を決め、まずは荷物を置いて海沿いのレストランへ!

ツナの詰まったイカリングは、特に美味しかったです。すぐ隣の海で揚がったものなので、新鮮です。



昼食後に着替えてビーチに行くと、とても美しい海が広がっていました。エメラルドグリーンの海には感動しました。砂は貝殻の粉のようで、真っ白でサラサラ。寝っころがって砂だらけになっても、ベタベタとくっつくことはありませんでした。



シューノーケリングもでき、必要なもののレンタルもできます。スキューバーダイビングもできるみたいです。少し沖に出てみたかったので、船をハイヤーしてシュノーケリングを楽しんできました。水族館で見るようなカラフルな魚、ウニやサンゴをたくさん見ることができました。
日が暮れるまで充分に楽しみ、日没後にロッジへ戻りました。そしてここが宿泊したロッジ。



それからディナー。
炭火で焼いてレモンを縛っただけの海鮮は、美味でした!タンザニアビールも美味しかったです。



ディナーを終えると、レストランの一部がステージになっていて、タンザニア人による伝統的なダンスやアクロバットが始まりました。朝まで続いたらしいのですが、途中で疲れて寝てしまいました。



翌朝、朝食を摂った後に再び泳ぎ始めました!近くにいた白人と黒人のハーフの子。かわいかったです。



筋肉痛になるくらい泳ぎました。海がきれいすぎて、いつまでも泳いられそうでした。そして、泳いだ後はまた食べる。笑
泳いで食っての繰り返しですが、全く飽きません。

ランチは海鮮ピザ。これもまた最高でした!



何日か過ごしたかったのですが、その日の午後にはビーチを離れ、スパイスツアーへ参加してみました。先述のように、タンザニアは中東アラブ系やインド人がいるからだと思いますが、スパイスをあちこちで栽培している、スパイス農場が多数あります。

参加してみると、おもしろいものでした。よく知っているバニラ、アロマオイルなどでよく聞くレモングラス、ケーキにかかっているシナモンなどなど、名前は知っていても自然に植わっている状態でみることはほとんどありませんし、直接食べてみたりできることも特徴です。木の実や皮を削り、1つ1つ説明してくれます。



スパイスツアーと言っても、そこらじゅうに植わっているもの、何でも説明してくれます。木から落ちたばかりのコットン、アロエベラ、ショウガ、唐辛子などなど。


こんな姿のパイナップル見たことありますか?


「この赤い実を潰して、女性が口紅として使うんだよ。」と言って自ら試してくれた男の子。



ツアーを終えるとお土産があり、きれいにパックされたティーやコーヒー、たくさんのスパイスが売っていましたので、いくつか購入してみました。特に美味しかったのは、バナナティーウガンダにはありませんし、珍しいです。


ツアーを終え、車を降ろしてもらったところは再びストーンタウン。街を散策してみました。
ザンジバル島で有名な、重い扉。一般家庭のドアもこんな感じです。



ちなみに、ザンジバルにある国立病院を訪問してみたのですが、病棟への入り口も、この扉でした。
これが国立病院の外観です。タンザニアからウガンダへ看護師やドクターの学生が教育に来るくらいなので、医療レベルで言えば、ウガンダの方が上らしいです。



医療が進んでなくとも、見所のたくさんあるとても魅力ある国です。
また芸術的センスに溢れたこの街で、一際目立つのが「ティンガティンガ」という絵画。動物をアニメチックに書いた絵画です。



路上で絵を描いている人もよく見かけますし、芸術家が多いようです。



マーケットに並んでいるカラフルなマカロニにすら、お洒落だなーと感じました。



お菓子でイルカを作っていたかわいい女の子。カメラを向けると変な顔ばかりしますが、それもまたかわいい。笑



待っていたお母さんが現れて、はにかむ女の子。



変な絵とCDを売りつけられる日本人。笑



ザンジバルでとれたスパイス+ザンジバルでとれた海鮮で作った、絶品カレーを紹介しておきます。1日3食食べれるほど病み付きになりました。

メイズの粉を練って作られた、「ウガリ」と食べるフィッシュカレー。



ビリヤーニと食べるタコカレー。



3種類の異なるカレーソースにつけて食べるカレー。



海岸沿いを歩けば、大きな公園があり、たくさんの観光客で賑わいます。



毎晩そこには屋台が並んでいます。日本語の単語を知ってる人も居て、
イカ!タコ!カニ!エビ!!」と叫んで売っています。



ストーンタウンには2泊しました。旅最後の地だと思うと、ちょっと悲しい気分です。



最終日はフェリーでダルエスサラームへ戻り、ルワンダを経由してウガンダへ戻ってきました。旅行から帰ると、そこはまだアフリカ。何とも不思議な感じですが、特に自分の家があるマサカへ戻ってくると、ホッとするもんです。

11日間の短い旅でしたが、たくさん経験させてもらいました。ウガンダに住んでいるので、訪れた国々でウガンダ人との比較ができることも、旅をしていて楽しいことでした。

残りの任期は、予定では約2ヶ月です。次の進路についてはまだあれこれと悩んでいるところです。ウガンダ生活もラストスパートの域に入ってきましたので悔いの無いように楽しみます!


Ichimasa

南アフリカの旅

ルワンダを18時頃の飛行機で離れ、次なる目的地は南アフリカへ。滞在は3泊4日でした。


南アフリカの基本情報から。

人口:
約5058万人(2012年)。黒人約80%、白人と混血を合わせて約20%を占める。アジア系も2~3%生活している。


面積:
122万平方キロメートル。日本の約3.2倍。


人:
アフリカにいるとは思えないほど、主要都市の白人の割合が高い。タバコを吸っている人も多く、身なりはキレイ。先進国となんら変わりない。


町並み:
街の様子、物価ともにヨーロッパやアメリカに引けを取らない・・・が、ある特定の狭い区域にだけトタン屋根の貧しいエリアがあり、貧富の差が感じられる。治安は世界でも有数の最悪と言われているが、夜に中心街を歩き回っても危険な目に遭うことはなかった。但し、警備員は街中にいて、街行く人から誘惑の声を掛けられることが多いので、うっかりしてられない。


言語:
英語。白人が多いので、現地語よりもドイツ語やオランダ語を耳にすることがあった。




ルワンダキガリ空港から南アフリカの首都ヨハネスブルクまでは約4時間。到着する直前の飛行機の窓からは、すっごくきれいな夜景が見えました。南アフリカは世界最凶とも言われるほど治安が悪いとされていますが、発展しているから犯罪も自ずと増えているのだと思います。実は、JICAの規定でヨハネスブルクにはトランジットでしか立ち入りできず、泊まれるホテルも指定されているので、自由に行動することはできませんでした。
到着したときには既に23時ごろ。空港にはホテルまでの無料送迎バスが1時間おきに走っており、空港からバスで約15分離れたホテルに宿泊しました。移動中、バスから見える光景には目を疑いました。アフリカとは思えないほどキレイに整備された道路、看板が大きくきれいに表示された高速道路。道も片道4車線で、当たり前のように交差点には信号があり、中央分離帯まで。東京を観光しているようでした。

泊まったホテルは「Birchwood Hotel」。1泊約100USDと奮発してしまいましたが、価値は大いにありました。キングサイズのベッドにバスタブ、シャワー。



翌日の朝食もバイキングスタイルで美味しかったです。



ヨハネスブルクはその1泊限りでしたが、少しでも町並みを見ることができてよかったです。翌朝の便で、南西にあるケープタウンというところへ向かいました。ヨハネスブルクはもっと散策したかったので、将来必ずまた来ます。



ケープタウンまでは飛行機で約2時間。ケープタウンも素晴らしい街並みでした。歩いてる人もお洒落です。



驚いたのが、バスに乗るにはプリペイドカードを買わなければならず、そのカードにチャージして公共の乗り物を利用しなければならないことです。SuicaPasmoみたいなもんです。電車も通っていますし、東京みたいに複雑ではありませんが、分かりやすく色分けされた路線図もありました。

ケープタウンの中心街に到着すると、そこはオフィスビルやショッピングモールに囲まれ、程よく植物も植えられており、きれいな街並みが広がっていました。
ウガンダには無い、ケンタッキーやマクドナルドも、売っている物の質も日本と変わらず、まさに先進国でした。

ケープタウンにある、お城のような美しい喜望峰の記念建築物。



所々で見られる、ガタガタの中央線。道路の中央は大体この辺ってこと・・・?笑



ショッピングモール、路肩の駐車場に止まったオシャレな車、山が見える町並み。何ヶ月か住んでみたいです。



新鮮な気持ちでテンション上がりましたが、一方で少しがっかりしました。こんなに栄えた国が同じアフリカにあるのに、国境を跨げば蛇口から水が出なかったり、電気無しで生活する人々がたくさん生活しているのです。世の中、もっと真剣に考えなければならないことがたくさんあるように思います。

そんな気持ちを抑えながらも、やっぱり見たかったこの街の夜景。ケープタウンを一望できる「シグナルヒル」という丘へ、日が沈んでからタクシーで行ってみました。きれいな夜景に感動することができました。海、山に囲まれて明かりに照らされた街は、資源の豊富さも伺えます。



翌日、前日に予約しておいたバスツアーに参加しました。街中にはトラベルセンターがいくつかあって、前日予約でもOKです。自分が申し込んだのは1日ケープタウンツアーで、一番の見所である「喜望峰」に行くこともできます。喜望峰は、世界最南西端です!!
ワゴン車に乗り込んで出発。バスを見渡すと、イギリス人4人、オランダ人3人、ドイツ人2人、アジア人1人・・・ん?と思って話しかけてみると、アフリカを縦断中の日本人バックパッカーでした。26歳男性。とんでもない確率で出逢いました。自分も1人旅だったので、一緒にツアーを回ることができました。移動中にはアフリカを縦断中の苦労話なども聞け、楽しく過ごせました。刺激を受けました!

喜望峰へ行く途中、ボルダーズビーチというところで一旦バスを降りました。かわいい子どもダンサーがお待ちかね。



そして海岸へ向かうと、そこにはペンギンが!!


青い空、海はエメラルドグリーン、白い浜とペンギン。素晴らしい光景でした!南アフリカはちょっと肌寒いくらいですが、そんなに寒くはありません。けどペンギンがたくさんいるのです。以前は一緒に泳いだりもできたそうですが、今は少し離れたところから見るだけです。よちよち歩きが可愛いです。


喜望峰へ向かう途中、もう一度だけバスから降ろされました。このツアーには、サイクリングも含まれていました。ワゴン車にはマウンテンバイクが搭載されていて、約30分サイクリングしました。考えてみれば、自転車に乗るのも2年ぶりくらいでした。笑
サイクリングを終えると昼食にサンドイッチを食べ、いよいよ喜望峰へ。



実はこの日、あまり天気が良くなかったのですが、喜望峰へ近づくにつれ、だんだんと天気が良くなって、最終的には晴れてくれました!



ここは絶景です。ほんとに最高です!人生変わります。



近くに居た人と、どっちがインパクトある写真を取れるか勝負したときのジャンプ写真。笑



喜望峰からの帰り道も小雨が降っていたので、本当にラッキーな旅です。
ケープタウンに戻ってきてから、喜望峰の感動、興奮も冷めないまま、1日バスツアーで出逢ったバックパッカーの友だちと、日本料理店「MINATO」へ行きました。日本料理といっても中国人経営で、本場の味とまではいきませんが、美味しかったです。



翌日早朝には再び移動。ケープタウンに別れを告げてから、首都ヨハネスブルクへ。そして旅の最終場所であるタンザニアへ向かいました。

次回はタンザニアです!


Ichimasa