フィリピン・ダバオで見た現実

前回にも少し触れましたが、ドイツから帰国し、就活する間の時間を使って、暫くフィリピンに行ってきました。もう5年も前の話になりますが、会社を辞め、これから海外行こうと決意した自分を磨くために頑張った、思い出の地です。
5年前は全然英語ができず、ビギナーに近いクラスから始め、約5ヶ月間過ごしました。それからウガンダでボランティアをして、ドイツの大学院で更に2年間。長かったようで短かったこの5年足らずの期間。今回はレベルを上げて、TOEFL対策の授業を提供している学校へ行くことにしました。前回はイロイロという街でしたが、今回は、TOEFLコースで評判の良かった、ダバオという街を選びました。今、日本でもよくニュースに取り上げられていますが、フィリピンの新大統領、ドゥテルテさんの出身地です。今回は、あまり時間が取れないので4週間のみでした。

授業は1日7時間で、3時間のグループレッスンと、4時間のマンツーマン授業が含まれています。グループレッスンは、3~8人くらいで授業に参加します。そしてTOEFLは4つのセクション(リスニング、リーディング、ライティング、スピーキング)から構成されているので、各セクションの担当先生から1時間ずつ、マンツーマンで授業を受けます。また、夜は自習が必須で、更には毎朝単語テストがあり、約40問に答え、成績が悪ければ週末の外出許可が下りない等の規制もありました。平日は基本的に外出禁止でした。



食事は1日3食付いていました。オーナーが韓国人なので、基本的に韓国料理が出ます。食べかけの写真でゴメンナサイ。笑



週に2回、洗濯もやってくれます。



部屋は、オプションもありますが、自分は2人部屋にしました。学校の敷地内には、バスケットコートやトレーニングジムがあり、バドミントンや卓球も楽しむことができました!



自分はもちろん、放課後にはバスケットをやってました。フィリピン人の先生もバスケ好きなので、一緒に楽しむことができました。


1週間目の月曜日にダバオに到着して授業に参加したので、合計4回の週末がありました。初めての週末は、授業で仲良くなった学生さんたちと一緒に、スキューバーダイビングへ。久々のダイビングでしたが、とってもきれいな海に癒され、高校生、大学生と友だちになることもできました。水温が高かったので、Tシャツ海パンに機材という初めてのスタイル。



そして2週目。仲良くなった大学生の1人が話を持ちかけてきました。


「自分は経済学を専攻していて、フィリピンの政治、経済が悪い影響で、しわ寄せを受けている貧困層に目を向けたい。中でも、身体を売る売春婦についてもっと知りたいし、彼女たちを助けたい。」


と言っていました。彼は協力してくれる先生やNGOを探し、提案書まで作成していて、一緒に調査を行う人を探していました。そこで話を持ちかけてくれたので、快諾!せっかくフィリピンに来たのだから、もっとフィリピンのことを知りたいという思いに賛同しました。自分も調査経験があるとはいえ、全く違う分野での調査は初めてでした。

まずは、人身売買や子どもの売春婦を救うために活動しているNGOを訪ねてみました。そこには、10代前半の女の子たちが20人くらいいて、NGOで働くおばさんたちが面倒を見たり、教育をしているそうです。そのNGOで働くスタッフの中には、かつて売春婦として働いていた人もいます。とても明るく振る舞っている子どもたちですが、それぞれが酷い家庭環境や劣悪な生活環境で必死に生きている子どもたちのようです。


7月30日。この日は、国連の掲げる人身売買撲滅デーでした。このイベントはNGOの活動に直結しているため、参加させてもらいました。



その女の子たちを中心に、街の人を呼び留め、このような現状があるという話を聞いてもらい、賛同したらキャンペーンの旗に賛同の印を示す、署名をしてもらいます。
中には署名したがらない人、全く関心の無い人もいましたが、驚くほど真剣に聞いてくれる人が多かったです。フィリピン人は、何かしら思い当たる節があるからなのかもしれません。偶然このイベントに参加できたことは、幸運でした!


そして本題。売春婦から情報を聞き出すために、自分たちはアンケートを作ったり、場所の選定をし、週末を利用して売春婦に直撃取材をすることとなりました。ここでは、アフリカで培った経験が活きたと思っています。売春婦が働き始めるのは夜中。調査は夜11時くらいから始まり、長い時には日が昇るまで。コンタクトを取ると、まず初めは客だと思われるので、所属NGOの説明から、調査の趣旨を説明。ここでも意外に、すんなりと回答してもらうことができました。


アンケートを記入する姿は真剣で、いつも明るい彼女たちも、表情を曇らせながら書いているようでした。
売春婦は、教育を充分に受けられなかった子どもたちが含まれているので、読み書きできない子が多かったように思います。生まれつき聴覚を失っているのに働いている女の子にも会いました。あまりプライベートな情報は載せられませんが、最終学歴が小学校だったり、14歳の子がいたり、ドラッグの経験があったり。



質問した中で、一番衝撃だったこと。それは、客の国籍を聞いた質問でした。
一番多いのは、やはりフィリピン人。これは理解できますが、次に多いと答えたのは、

なんと、『日本人』…。


自分は、アフリカにいる時、税金を使って勤務していた病院が拡張され、医療機器が供与され、とても感謝される立場にあり、日本人として誇りを感じていました。ドイツに行けば、クラスメイトから日本の技術力はすごい!と一目置かれており、自分の功績ではないけど、日本人であることを誇りに感じることが多かったように思います。
その思いが、自分の中で崩れ去ったような気がしました。


「ほんとに?日本人…?」


嘘であって欲しい、そして認めたくない、という気持ちでいっぱいでした。
ですが、これは自分の関わった範囲で、約30人に聞いたことなので、間違いありません。決定的だったのは、日本語を話せる娼婦がたくさんいたこと。調査中に、娼婦宿周辺をうろつく日本人のじいさんを目撃したことです。自分は日本人だと気付きませんでしたが、売春婦から、あのじいさんは日本人だと知らされました。
何となく感じていました。戦時中、日本人は酷いことをする民族だとアジア諸国から思われており、日本とフィリピンは行き来しやすく、売春ツアーまで存在していると聞いたことがあったり。快楽を求めた、ストレス社会に生きる日本人は、彼女たちの家庭環境すら知らず、英語も話せないのに若い女の子を買い、楽しんでいるのです。


何だか。日本人であることが、本当に情けなくて、悔しくて、恥ずかしくて、調査しながら憤りすら感じました。


彼女たちの家庭環境は、両親を失っていたり、両親が働けずに一家の大黒柱を担っていたり、多すぎる兄弟を養うことであったり。生きるのに必死で身体を売っているのです。しかし、一度身体を売っても、稼ぎは500円〜1000円程度。そのうち、10〜25%くらいは、『ままさん』と呼ばれる、売春婦を取り纏めているおばさんに支払います。この『ままさん』という言葉。察しの通り、語源は日本語。このシステムを作ったのは日本人ではないかと思ってしまいます。

フィリピン政府は、オフィシャルでは売春婦を認めないそうですが、NGOによると、フィリピンには身体を売って生活する人々は約80万人いると言われており、正確な数字はそれ以上とも言われているそうです。月1回はHIV-AIDSの検査を無料で行えるように政府が施設を提供しているようですが、実際にテストしている人は少なく、AIDS患者も蔓延しているだろうと言われています。

改めて、日本に生まれて良かったと、両親に育てられて良かったと感謝することもできます。でもこの現実から目を背けてはいけないと思っています。
専門である医療機器とは異なる調査でしたが、非常に学ぶことの多かった調査でした。目的だったTOEFLの勉強もできて良かったのですが、また自分にできることが1つ増えたような気がして、実りあるダバオ生活でした。

帰国し、図書館で人身売買についての本をいくつか読みました。やはり世界中で問題になっているようですが、日本も他人ごとではありません。むしろ当事者とも言えることもやっています。日本の抱える『闇』についても触れることができた、いい経験です。


帰国して約2週間後。このダバオで、テロがありました。この売春婦の調査で度々通りかかっていた場所でした。友だち、先生などは無事ですが、今後も緊張状態が続きそうです。



とりあえず健康な姿で帰ってこれたので、平和を祈りつつ、もう暫く日本を満喫します。


Ichimasa