2016年 前半ダイジェスト

気付けば今年初めての書き込みです!
前回はウガンダからドイツへ戻ったところまでだったので、そこからのことをざっくりと書きます。

昨年末ドイツへ戻ってからは、修士論文を執筆することに精を出す毎日でした。自分の言いたいことを根拠づけるために文献を読みあさり、信頼、引用できるものを自分の論文の一部として取り入れました。大学側からは、論文の書式やフォント、字数などは特に規定されておらず、始めは文の構成に時間を費やしました。

担当教授が、論文を執筆するうえで常々口にしていたこと。


「論文は小説のように1つのストーリー。起承転結は当然だけど、それぞれが自然な流れでリンクしていて、研究全体を通して首尾一貫していること。」


なぜ自分がその研究に情熱を注いだか。仮説を明確にし、自然な流れで概論を語る。どうすれば解決へ導くことができるか、方法論を語り、その方法論を実際に適用してみた結果を報告。最後に考察と結論。

構成が決まれば、あとは内容を詰めていくのみ。言いたいこと、書きたいことは山ほどありましたが、長ければ良いってものではなく、ポイントを抑えつつ、簡潔に。語学も絶対の自信があるわけではないので、誤解を生まないように。

そんなこんなで、試行錯誤しているうちに、3ヵ月が過ぎたころ。ついにドラフトが完成しました。ワードを用いてA4の紙で約90ページ。使った単語数は20,000以上。その後は、自分自身で何度も読み返し、更には、数年前にフィリピンの学校でお世話になった先生に添削をお願いし、ひたすら校正を繰り返すのみでした。

そして5月初旬。ついに論文完成!しかし、論文を提出して終わりなわけではなく、プレゼンテーションを行わなければなりません。自分の大学は、教授やクラスメイトに声をかけ、自分の調査や研究についての報告を行います。医療機器を勉強していると一言で言っても、クラスメイト一人一人の研究内容は様々です。例を挙げると、iPS細胞を用いた再生医療MRIやPETなどの画像診断機器、臓器を複製する3Dプリント技術の開発・研究など、多岐にわたります。自分のように、医療機器×国際協力と結びつけて研究を行うのは稀なケースなので、教授やクラスメイトと情報共有することは貴重です。

ドイツで勉強している生徒は、裕福な家庭で育った人ばかりです。先進国で勉強していると、当然、技術の進歩に関心を向けがちですが、電気があること、電気が安定していること、病気やケガをしたときに、迅速で適切な医療サービスが受けられることなど、当たり前の環境への感謝も忘れて欲しくありません。なので、自分は途上国での経験や現状を、論文を通して知ってもらうということも使命だと感じています。先進国に生まれたからこそ担わなければならない責任もありますので、先進国で勉強する彼らにも伝えておきたい、大切なことです。


5月13日。プレゼンテーションの日。
この日は13日の金曜日。開始時間は13時。空いてた部屋は13番。教授は、「13が重なりすぎて、何かミラクルなことが起こる!」と冗談をほのめかしていました。

研究結果のプレゼンテーションは約25分。それから研究に関する質問を受け、それが約40分。全てが終わると、自分とクラスメイトは一旦部屋から退出させられ、スコアを決めるために教授陣だけの論評会が始まります。

暫く待っていると、ドアを開けた教授が「おめでとう!」と言ってくれました。その瞬間はホッとして、一気に肩の荷が下りたように感じました。

フィリピンでお世話になった先生の助けもあり、修士論文はベストスコアの1.0を、プレゼンテーションは1.3をいただき、無事に卒業することができました!スコアがまたも1と3の組み合わせ。でも、ジンクスなんて関係ない!笑

お世話になった大学の教授と。
左がロシア出身、右がイラン出身の教授です。しかしドイツで育っているので、ドイツ語もネイティブ並みです。



ドイツから日本へ帰国するまでは時間があったので旅行を計画し、行き先は、約3年前にも行ったタンザニアへ。タンザニアは東アフリカの中では発展している国で、ウガンダが学ぶべきヒントがたくさん隠されています。ウガンダで活動をされているボランティアの方とタンザニアで合流し、病院見学を含めたツアーに加え、もちろん観光にも行きました。何か月も論文執筆に時間を割いていたので、ストレス発散のために美しいビーチに行ったり、買い物やグルメを楽しんだり、満喫してきました。



そして5月31日。待ちわびた日本帰国。
宮崎はやっぱり良い気候です。その日は母の誕生日だったので、ドイツで購入した犬の置物をプレゼントしました。



帰省してからは、海外で活躍されている開発コンサルタントの方々に話を伺ったり、友だちに再会したり、身内の看病を手伝ったり、中型バイクの免許を取ったり、宮崎キャンプに来たサッカー日本代表の香川選手に会いに行ったり、充実した生活を送りました。



せみの脱皮を、初めてリアルタイムで見ました。



羽を広げると、きれいなミンミンゼミへとなりました。クマゼミかも?



修士を取ったということは大変うれしく思いますが、これからは、その資格を活かして自分をどうアピールし、これまでの経験を基に自分はどのように世界へ貢献していくかを見出していくことが、自分の生きる道となります。修士号は、世界へ飛び立つ「切符」が手に入ったというだけです。その切符に行き先は書いてなく、その切符でどこまで行けるかはわかりませんが、自分次第で可能性は無限大。いろんな選択肢を考えながら、自分の納得いく道を探してみます。

後日、大学から届いた卒業証明書。



もうしばらく就職活動に時間を費やすことになるかと思いますので、約1か月間フィリピンの語学学校で勉強してきたところです。
フィリピンでも、たくさんの良い出会いがあり、特に目標を持った若い学生たちに刺激を受けました。31歳。まだまだやることはたくさんあります。
フィリピンの生活については後日書きます。

これからも良い報告ができるように、精進していきます!


Ichimasa