命について1

1年と3ヶ月が経ちました。
ウガンダでの生活は2年。たった2年…と思っていましたが、すでにいろんなことが起きています。日本でも、ウガンダでも。今回は「消えゆく命」について触れます。

今週始めにとても衝撃的な出来事がありましたので、まずはそのことから。

朝いつもどおりに出勤すると、いつもは一番か二番目くらいに到着するのに、その日は既にスタッフが慌ただしく動いていました。明らかにいつもとは違う雰囲気が漂っていて、何が起きたのか、病院の敷地内にある小さな教会周りには、人だかりができていました。そこには警察官も含まれており、不思議に思って近づいてみました。

そこには・・・

低くて小さな木に、スカーフで首を吊った女性が亡くなってました。かなり衝撃でした・・・
ウガンダでも自殺者がいる事実にも驚きましたし、しかも身近に・・・話を聞くと、自殺者は意外に少なくないそうです。亡くなったのは34歳の若い女性で、HIVエイズの陽性患者で治療を受けていたとのこと。入院患者で、腕にはまだ点滴の針が刺さったままでした。10歳の子どもと親戚が見舞いに来ていたようですが、早朝、トイレに行くと言って病棟を抜け出したのが最期だったようです。悲しすぎます。何が起きたのか自分は知る由もありませんが、きっと彼女の中で何かが耐えられなくなって弾けてしまったんでしょう。ですが、いずれにしても命を絶つべきではありません。
目撃するのは決していい気分ではありませんし、落ち込んでしまいます。しかし、この現実も受け止めなければと思い、しっかりと目に焼きつけました。というか、その光景が目に焼きついて離れませんでした。



「死」について以前にも書いたことがありますが、ウガンダに来てから起こったことと言えば、もう1年以上前にもなりますが、ウガンダに来てわずか3ヶ月が経った頃のできごと。近年入退院を繰り返していた父方の祖父が亡くなってしまい、電話で知らせを受けました。出発前にはできる限り見舞いに通っていましたが、病棟で別れたのが最期となってしまいました。ショックでしたし、未だに遺影すら見ることができていない自分は何をやってるのかと、嫌気がさすこともあります。

そして今年2月。亡くなった祖父の死からもうすぐ1年というとき、またも起きてしまいました。出発前には元気だった、少なくとも元気に見えた母方の祖母が亡くなってしまったのです。腰痛を訴えていてガンの検査を繰り返す日常を過ごしていたようですが、突然の心筋梗塞で亡くなってしまいました。
祖母は、祖父のために夕飯を仕度している時、急に発作が起きて亡くなったみたいです。母が駆けつけたときには既に亡くなっており、無情にもご飯だけはたくさん炊かれた状態だったそうです。祖母の死は全く予想できなかったので、ショックは大きかったです。そして祖母に関しても、葬式すら出席できなかったことを心苦しく思います。未だに祖母の死も目の当たりにしてないので、頭の中のどこかでは、まだ死を認められない気持ちがあります。

悲しいですし、何処にもぶつけることができない悔しさがありますが、亡くなった祖父母が、自分が落ち込む姿を期待しているとは到底思えませんので、自分は自分に出来ることをここから、そしてここで使命を尽くすことが望まれている、と自分に言い聞かせてます。きっと遊びに来てくれてるはずです。



ウガンダに来て病院で働いているので当然といえば当然ですが、常に命と隣り合わせの環境で働いていることを思い知らされます。自分は医者ではないので、直接ではありませんが…

ウガンダでの日課は、毎朝8時から行われるミーティングに始まります。そこで、どこの病棟にどれだけの数の患者がいて、どんな状況、そして抱える問題についての話し合いが行われます。そこで、24時間の間に何人の命が亡くなって、いくつの新しい命が誕生したのか、そういった報告もあります。以前にも書きましたが、自分の勤務するマサカ病院だけでも1日平均で数人の死者、30の新しい命が誕生しています。

日本では当たり前のように生まれてくる子どもですが、ウガンダでは子どもを生んですぐに亡くなってしまう妊婦さんも少なくありませんし、亡くなってしまう乳児もたくさんいます。
生まれた直後に亡くなってしまった子どもが分娩室内の傍らで白い布に包まれ、紐で結われた姿を目にしたことがありますし、病棟を歩いていれば当然のように死体が横切ることもあります。患者の家族が泣き叫んでいる姿を見ることも頻繁にありますし、医者ではないながらも間接的に患者に関わっていると思うと、気が引き締まる思いです。


またウガンダで生活すると、人間だけじゃなく動物の死についても日本とは比べ物にならないほど経験してると思います。まずは当たり前のようにやっている一般家庭でやっている「鶏」さばきに、稀にある「ヤギ」や「ブタ」をさばいているところ。



先日、(原因はわかりませんが)道路の傍らで苦しんでいて動けなくなったヤギを見ていたら、男がナイフを持ってきて、急に首を「バツッ」と切ったのを見ました。あまりに苦しんでいたので殺してあげた状況でしたが、衝撃すぎます。

日本のスーパーに並んだ、既にパック詰めされた肉には感謝することは難しいかもしれませんが、命をいただいているという事、再度ありがたさを認識してほしいと思います。「いただきます」を大事にしてください。ウガンダキリスト教信者が多いのですが、何かを口にする前には必ず目を閉じ、祈りを終えたあとから食べ始めます。

そう言えば、こんな映画を見たことがあります。

「いのちの食べ方」


家畜がパックされるまでを映画にした、解説も何も無いちょっと変な映画ですが、もし興味があって見てなければ、見てみてください。感謝の気持ちがわくと思います。

話はちょっと逸れてしまいましたが、この1年で特に「死」について、よく考えさせられます。
これまでにも「生」と「死」について触れることはありましたが、生きていることへの感謝、死の悲しみとありがたさについて、まじまじと体験しています。
たった1年少しで起きた出来事とは思えませんが・・・しっかり「命」と向き合っていきたいと思います。


Ichimasa