マサカ病院開所式

マラウィ&ザンビア旅行から帰ってきて、またいつもの日常が始まりました。   …が、イベントは尽きません。

度々紹介してきましたが、マサカ病院が日本の協力を得てパワーアップし、利用が始まったのは去年7月。それから約9ヶ月が経過していますが、先月末に、ついに正式な式典が行われました。直前には準備に終われ大変でした。これまで噂だけが散々行き交い、直前になって実施が延期されたり、昨年ウガンダ国内で流行したエボラ出血熱やマルブルク熱のために、延期に延期が重なり、今回も本当に来るかなー?と心配されていました。

噂が確信に変わったのが式典の約1週間前。急に保健省から病院へ連絡があり、そしてJICAオフィスから自分にも連絡が入りました。更には新聞に、式典についての紹介チラシが挟まっていました。土曜日は「NEW VISION」、日曜日は「SUNDAY MONITOR」という新聞に挟まれていました。どちらもウガンダの看板新聞で、日本でいう「毎日○○」みたいなもんです。
これが紹介チラシの一部。



ウガンダ中に配信されたと思うと、テンション上がります。なぜなら、そのチラシには自分も写っていたからです。しかも2枚も!
マサカ病院に提供された新しい医療機器との写真と、以前にも紹介したことのある医療機器のユーザートレーニングを行なっている時の様子です。



写真の説明には、JICAボランティアについての説明があり、若い9人の日本人ボランティア(医療職のみ)たちが、各医療施設でそれぞれの資格や特色を活かして活躍していることが書かれていました。そしてユーザートレーニングの記事には、新しいユーザートレーナーの育成のためにパートナーとなっている日本と勉強会を開催していることが書かれていました。

こんな記事が出れば、これは間違いなく式典が行われる!と確信した瞬間から、大忙しで準備が始まりました。自分も結成された準備メンバーに加わり、式典前は毎晩10時頃まで準備を進めました。建物の手直しに始まり、準備したテントに貼るポスターを作ったり、スタッフのネームプレートを作ったり…当日は飲み物ウェイトレスもやりました。笑



メインゲートに掲げるこの旗。デザインを担当しました!



ゲストはマサカ市長、病院長、保健省、JICAからの代表者など錚々たる顔ぶれですが、何と言っても今回は更に大物も。チラシにも写真が載っていますが、ウガンダ副大統領とウガンダの日本大使を招いての式典でした。
これは気合いが入らないわけがありません。いつもお金が無い無いと叫んでいる病院も、街へ頻繁に買出しへ出かけ、ちょっとだけ太っ腹に見えました。

テントを立てたり、リボンで病院中を飾ったり、式典直前までイスを並べたり拭いたりするスタッフたち。このバタバタ感。何だか懐かしさを憶えました。そうです、学生時代の体育祭や文化祭前のような気持ちでした。普段はバラバラに仕事していても、この時ばかりは一致団結です!



3月26日。式典は、マサカ病院を離れてマサカタウンをマーチングすることから始まり、ウガンダでは驚きもしない2時間以上遅れてのスタートでした。笑

式典は、病院内の見学、記念植樹、ゲストからのスピーチが中心でしたが、みな誰もが日本人に対して感謝している内容の言葉ばかりでした。



子どもたちのダンスパフォーマンスもこういった式典では常連です。



その場に居た日本人は、大使とJICAスタッフ、建築会社の方と自分を入れても数人だけ。これまでこの事業に多くの日本人が関わってきましたし、この数人だけが感謝されるのは間違っていると思いますので、改めてですが、このブログを通じて感謝の意を示したいと思います。特に税金によって成り立っている支援なので、日本人みなさんに対してです。

ウガンダ人は心から感謝しており、日本に強い親近感を抱いています。

日本大使のスピーチの中では、あの東日本大震災から2年経過したことへの黙祷も捧げられました。ウガンダ人のほとんどの方々が地震の事実を知っています。



副大統領のスピーチも、日本人に対してたくさんの感謝の言葉、そして愛情こもった言葉ばかりでした。マサカ病院で働く自分の存在にも触れる一言があり、それも非常に嬉しく思いました。



最後に記念プレートを取り付けて幕が閉じました。



連日の準備から開放され、全てやり終えたあとのリラックスしたひととき。



イベント尽くしですが、モチベーション上がってます!

Ichimasa