お別れ

3月22日祝日、午前8時。早朝から近所の公園でバスケットを楽しんでいた時、実家の母から連絡が入りました。
その内容は衝撃でした。父方の実家の祖母が亡くなってしまったというのです。
78歳でした。その連絡を受けすぐに会社の上司に電話し、忌引き休暇を頂き約1年ぶりに帰省しました。宮崎の実家に到着したのは深夜でしたが家族は起きており、別れを悔やんでいました。
死因は老衰でしたが、祖母は数年前から“パーキンソン病”を発病し、長年の闘病生活を送ってきました。
パーキンソン病とは、脳内の神経伝達物質であるドーパミンが減少することにより運動神経が侵される病気で、原因は不明です。治療は薬によるものがほとんどですが、原因が不明なので完治は困難であることを覚悟する必要がありました。ボクシングのモハメド・アリや、ナチス・ドイツアドルフ・ヒトラーなどの著名人もこの病気に苦しめられたそうです。
初期の異変に気付いたのは自分がまだ高校生だった頃、祖母が料理を運んでいる姿を見た時でした。手の震えが止まらず、料理を運ぶのも一苦労といった状態になっていました。
その後は徐々にではありましたが確実に病気は進行し、手押し車が必要になり、車椅子になり、介護士が付かなければ生活が困難な状態になり…自分が大学進学のため実家を離れる頃には病院生活を送ることになっていました。祖父と散歩をしたり、水泳などをしていた祖母にはきっと耐え難い、受け入れ難い現実だったのかもしれません。
入院してからしばらくすると、それに拍車を掛けるように、50音順に書かれたひらがなのボードを指差しながらの会話になり、更にはそのボードを指すこともできなくなり…
実家を離れていた自分はその頃、実家に帰省するのは年1度正月だけでした。その度にお見舞いに行っていましたが、最近では反応すら出来ない状態になっていました。自分が来たことを解っているのかも解りませんでした。
しかし、パーキンソンというこの病気、人の言葉は理解できるそうで、ただ表現ができないという心苦しい病気です。とても辛いはずです。祖母は天国に逝ってしまいましたが、今頃は苦しみから解放されていることだと思います。
今年は私用があり正月には帰省しませんでしたが、まさかこんなことが起きようとは予測していませんでした。今年お見舞いに行ってなかったことが情けなく思えました。
祖母の通夜と葬式ではたっぷりと別れを惜しみ、姉と書いた手紙も納棺したので読んでくれていることでしょう。あとは残された祖父の事が一番気掛かりですが、実家には父、母、姉が同居しているので、任せたいと思います。

人は二度死ぬと言われます。一度目は現実から亡くなった時。二度目は人々の記憶から消えた時。
自分は祖母のことは生涯決して忘れません。
生涯を終えるまでに自分は何を残し、伝えることができるのか。自問自答する事が多くなりました。今までの自分を見直し、しっかり生きること。これも祖母が残してくれた財産だと思っています。

出会いと別れの多いこの季節、まさかこんな別れが待っていようとは思ってもいませんでした。ご冥福をお祈りします。
今まで本当にありがとう。


Ichimasa